昭和30年代の常磐団地をリアルに再現した『松戸市立博物館』に行ってみた!
千葉県松戸市にある千葉・松戸に特化した古代からの歴史を観る事が出来る『松戸市立博物館』にやってきました!!
ここは、ファミリーで来たり、デートに来たりするのに最適な松戸市にある「21世紀の森と広場」という公園に隣接する博物館で、館内は子供から大人まで楽しんで学べる施設になっておりました!
そんな「松戸市立博物館」の見どころを御案内致します!
▼21世紀の森と広場
冒頭で述べたように、この博物館は「21世紀の森と広場」という公園に隣接しており、この公園は湧き水が注ぎ込む大きく美しい池が素晴らしいので、是非とも博物館に行かれた後は公園も訪れてみて下さい!
▼松戸市立博物館
この博物館は、松戸市制50周年記念事業の一環として1993年に21世紀の森と広場の中につくられたました。
四半世紀前に造られた博物館ですが、メンテナンスが行き届き建物の内外ともに非常に綺麗です。
≪ 入場料 ≫
博物館内には、一般:300円 / 学生:150円 / 小・中学生:無料で入場する事が出来ます。
館内は、これから御案内いたしますが観覧時間は、2,3時間程かけて観る事が出来るので、1時間100円と考えると時間つぶしでも全然いいですよね!
≪ 館内 ≫
展示物は、松戸市に纏わる旧石器・縄文時代から始まり、近代に至る歴史を分かりやすく学べるようになっております。
私が興味深かった点をいくつか、御案内します!
先ずは、石器・縄文時代は物流等が無く、土器や石器は今の言葉でいう地産地消の様に、その居住地域だけでクローズされた物だと勝手に思っておりましたが、実際は物々交換なのでしょうか?結構な遠距離地域にもたらされている事が学べました。
また、石器時代に矢じりや、ナイフとして用いられた「黒曜石」に至っては、産出地域が限られているそうですが、関東の伊豆諸島産出の物が、遥か九州等でも見つかっているそうです。
そんな昔から物流が行われていたのは、驚きです!
≪ 石棒(せきぼう) ≫
他にも、興味深かったのが、この『石棒』と名前が付けられた磨製石器です。 この「石棒」は、松戸だけでなく全国各地の縄文時代に遺構から見つかっている石器で、一言でいうとチンコ・・・男根です! 未だタイムマシーンが出来ていないので実際の使い方は分かっておりませんが、呪術や、祭祀に関連するものと言われております。
なんでも、生命が誕生する神秘に纏わる性器(男性・女性)は、崇拝の対象だったとか・・・実際に、当時の方に聞いた訳ではないので分からないですが・・・
≪ 河原塚一号墳 ≫
『河原塚一号墳』で出土した被葬者の骨を基に再現された埋葬当時の姿です。
日本の土は酸性土壌なので、人骨等は短期間で溶けて無くなってしまいますが、この古墳は縄文時代後期の貝塚の上に築かれた古墳で、盛土にも貝塚の土を使用しています。
その為、貝から溶け出したカルシウム(アルカリ性)によって、人骨は守られ墳丘の中央の木簡には、身長約172㎝で50歳を越える男性と3歳位の幼児が埋葬されていた事が判明しております。 実際、この年の差のある二人が誰だか分からないですが、肉親だとすれば、祖父と孫といった関係なのかもしれないです。
石器、縄文時代は、確定情報が少なく、解説がダラダラと書かれた展示をする博物館が多いですが「松戸市立博物館」は、端的に興味をそそる箇所にスポットを当て展示しているので、非常に楽しかったです!
▼常盤平団地の部屋再現
ここ「松戸市立博物館」の最も目玉スポットが精巧に再現された『常磐平団地』です。 以下は、解説を原文そのままです。
「常磐平団地の誕生」
昭和30年代中頃より松戸市は首都圏の住宅都市として大きく変貌していきました。 その先駆けとなった「常磐平団地」は当初より理想の団地として計画され昭和35年に入居が開始されました。 当時、団地はダイニングキッチン、水洗トイレを備えた最新の住宅で「団地族」という言葉が流行するほど注目を集めました。 ここでは、都心に務めるあるサラリーマン家庭の昭和37年当時の生活を描いています。
入り口は、再現された玄関から入るルートとベランダから入るルートがありますが、順路に沿いベランダから入室します!
ベランダには、忠実に再現された白靴下が干されておりました。
≪ システムキッチン ≫
現在では「システムキッチン」と言うには憚れる台所ですが、当時としては水場、火の回りが一体化した近代的な台所でした。 正に世代である私の父に話を聞いた所、当時は新婚夫婦の憧れのキッチンだったとの事です。
≪ リビング ≫
昭和感は満載ですが当時を再現された「リビング」は、現在にも通用しそうな形になっておりました。
でも、コレも筆者の父に聞いてみると、当時はまだまだ長屋や、トタンで出来た家が多く残る時代で、当時は高価なTV等がある所を観ると、大手商社等に務める生活水準の高い家だとの事です。
≪ 寝室 ≫
この家が3LDKである事を考えるとベビーベッドが置かれたこの部屋が「寝室」です。 35歳の私ですが、赤ん坊の頃に撮られた写真を観ると、この様な感じだったので、なんとなく懐かしさを感じました。
≪ 水洗トイレ ≫
2018年を生きる我々からすると「まぁートイレは今と大して差がないので、こんなものかぁー」と思ってしまいますが、当時を知る父が言うには当時の家は、ぼっとん便所が主流で、臭くない水洗式トイレは余りに画期的で憧れたそうです。
≪ 風呂 ≫
この家(団地)で私が一番驚いたのが、この木桶の「風呂」です。
システムとしては、現在の風呂にも通じる所がありますが風呂桶が木というのは、現在では逆に贅沢にも思ってします。
ここは、外観も今と当時では大きく事なりますね。(少し入ってみたい気持ちになります。)
▼虚無僧
館内の一室に入るとド~ンと『虚無僧』が立っておりました。
この博物館は松戸市に纏わる博物館です。 そうです!日本人の99.9%の人は知らないですが、松戸市は『虚無僧』に縁が有ります。
では、「虚無僧」の歴史と松戸との関わりをお話しますと、十七世紀初頭、浪人や傾奇者の中から、鈴を振りながら入寂(祈り死亡)した中国唐代の普化禅師を宗祖とし、尺八を吹いて托鉢修行する者が現れます。
ここに禅宗の一派として普化宗と虚無僧が誕生しました。
幕府は、延宝五年(1677)虚無僧寺院の法度を定め、本山末寺制度によって寺院と虚無僧を支配しました。
この制度の下、現在の松戸市にあった小金宿の「虚無僧寺一月寺」は、「青梅鈴法寺」とともに普化宗総本山として全国に知られていきました。
虚無僧たちは組織的に活動を始め、十九世紀前半に最盛期を迎えます。
しかし、明治四年(1871)政府の普化宗廃止令により、普化宗総本山一月寺の歴史は閉じられました。
つまり、ココ松戸に時代劇によく出てくる悪役の虚無僧の総本山があったという事です。
これば、勉強になりました。
▼さいごに
以上で、『松戸市立博物館』の御案内となります! この博物館では、リアルに再現された昭和30年代の団地のレプリカという目玉の展示物以外にも興味をそそる沢山の展示物が観る事が出来ました。 皆様も一度、訪れてみては如何でしょうか。 御精読有難うございました。
▼アクセス
住所:千葉県松戸市千駄堀671
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