聖徳太子が建立した大阪府八尾市の寺院「大聖勝軍寺」を徹底解説!
大阪府八尾市にある聖徳太子によって建立された「大聖勝軍寺(だいせいしょうぐんじ)」に行ってきました!! ココは、ローカルな場所にある小さな寺院ですが、日本書紀に記載される場所で歴史の授業でも出てくる場所となっております! 当寺院の成り立ちの歴史と共に、たっぷりの写真で御案内致します!
本日訪れた「大聖勝軍寺」は、旧奈良街道である国道25号線沿いの大阪府八尾市にあります。 この道は、古くから大阪と奈良を結ぶ道で、この道沿いには聖徳太子が建立した寺院が並らんでおり、大阪方面には「四天王寺」があり、奈良方面には「法隆寺」が建っています。 この写真は、「大聖勝軍寺」側の陸橋上から撮影したもので、道の右手に見える木の場所に当寺院があります。
門前には、「聖徳太子古戦場」の石碑があり、奥に「大聖勝軍寺」が見える造りになっております。 ちなみに、写真には車が数台駐車されておりますが、本来は駐車場の無い寺院ですのでお立寄りの際は、付近の有料コインパーキングに駐車される事をおススメします。
門前左にある石柱には「河内飛鳥古寺霊場」、「聖徳太子遺跡」、「河内飛鳥札所」と記されており飛鳥時代に建立されたものと分かります。
この寺院が建立されたのは、飛鳥時代に起きた丁未の乱(ていびのらん)に始まります。 587年(飛鳥時代)に起きた丁未の乱は、崇仏派である蘇我氏の蘇我馬子によって、異国の神を排斥したい排仏派の物部氏が対立した戦いであり、厩戸皇子(聖徳太子)ら皇族の支持を得た蘇我氏の勝利となりました。 この結果、仏教反対派の発言力が衰え、今日まで伝わる仏教の国内浸透も進んでいく事となります。 この戦いでは、軍事を司る大豪族であった物部氏に苦戦する事となったが厩戸皇子は、仏法の加護を得ようと「いまもし我をして敵に勝たしめば、かならずまさに護世四天王の、おんために寺塔を建つべし」(日本書紀)と祈願して戦勝したことにより、戦後間もなく四天王を祭るための寺院として四天王寺とともに、本日訪れたこの「大聖勝軍寺」にある太子堂が建立されというロマン溢れる歴史を持っております!
境内には、真新しい聖徳太子の石像と共に四天王像も建立されております。
門を進み、境内の散策を開始いたします!
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