大阪府八尾市の大聖勝軍寺側にある「物部守屋の墓」を徹底解説!!

「大聖勝軍寺」の側には、軍事を司り一時は権勢を誇るも先述の「丁未の乱」で討ち取られた物部氏の首領 物部守屋の墓が安置されております。 もし、物部守屋が討たれずに、この乱で勝っていたなら、天皇家の歴史も変わり、日本の歴史も大きく変わったと思われます。 そんな時代のキーマンとなるも負けた故に首を刎ねられ小さな石塔ひとつの寂しい墓がココにあります。

「大聖勝軍寺」の側には、軍事を司り一時は権勢を誇るも先述の「丁未の乱」で討ち取られた物部氏の首領 物部守屋の墓が安置されております。 もし、物部守屋が討たれずに、この乱で勝っていたなら、天皇家の歴史も変わり、日本の歴史も大きく変わったと思われます。 そんな時代のキーマンとなるも負けた故に首を刎ねられ小さな石塔ひとつの寂しい墓がココにあります。




「物部守屋の墓」は、大聖勝軍寺と同様に旧奈良街道(国道25号線)の100m程離れた場所にあります。

「物部守屋の墓」は、大聖勝軍寺と同様に旧奈良街道(国道25号線)の100m程離れた場所にあります。




「物部守屋の墓」を観る上で私が特に気になったのは、この墓を囲む塀「玉垣(たまがき)」に記載される名前が、全て神社や神社に由来するものであるという点であります。 これは、廃仏派であった物部守屋が陥落した事により日本に異国の仏教というものが広がるきっかけとなった事になった為と思われます。 即ち日本固有の神道を保護する最後の砦の様な存在であった為、それに感謝を込めて贈られたものではないかと私の目にはうつりました。

「物部守屋の墓」を観る上で私が特に気になったのは、この墓を囲む塀「玉垣(たまがき)」に記載される名前が、全て神社や神社に由来するものであるという点であります。 これは、廃仏派であった物部守屋が陥落した事により日本に異国の仏教というものが広がるきっかけとなった事になった為と思われます。 即ち日本固有の神道を保護する最後の砦の様な存在であった為、それに感謝を込めて贈られたものではないかと私の目にはうつりました。




丁未の乱から約1,500年を経た今の日本は、物部守屋にはどの様に映るのでしょうか。 また、これから1,500年後の日本はどの様になっているのか遥かな時間の流れというものを考えさせられる御墓となっております。

丁未の乱から約1,500年を経た今の日本は、物部守屋にはどの様に映るのでしょうか。 また、これから1,500年後の日本はどの様になっているのか遥かな時間の流れというものを考えさせられる御墓となっております。




「物部守屋の墓」の見学後、この周辺を散策していると古い道標が建っていました。 この道標は、1815年頃に作られたもので飛鳥時代に比べれば真新しく感じますが、江戸時代のもので、かつての旧奈良街道(国道25号線)が、古い伊勢街道としてお伊勢参りに使われていた事が記されていました。

「物部守屋の墓」の見学後、この周辺を散策していると古い道標が建っていました。 この道標は、1815年頃に作られたもので飛鳥時代に比べれば真新しく感じますが、江戸時代のもので、かつての旧奈良街道(国道25号線)が、古い伊勢街道としてお伊勢参りに使われていた事が記されていました。




さらに歩いていると飲食店が並ぶ奥まった先に何やらモニュメントの様なものが見えました。 何か!?と近づいてみます。

さらに歩いていると飲食店が並ぶ奥まった先に何やらモニュメントの様なものが見えました。 何か!?と近づいてみます。




近くで観ると第二次大戦より十数年前の昭和3年に建てられた忠魂碑でした。 恐らく奥まった場所に在る為、GHQにも発見されずに残ったものかと思われますが、非常に立派な石碑でした。

近くで観ると第二次大戦より十数年前の昭和3年に建てられた忠魂碑でした。 恐らく奥まった場所に在る為、GHQにも発見されずに残ったものかと思われますが、非常に立派な石碑でした。




最後に「大聖勝軍寺」門前に秦河勝が物部守屋の首を洗ったと伝わる「守屋池」の見学をします。 ココは、古くからの池と伝わりますが、今はコンクリート造りになっており、水も干上がった窪みになっており当時の面影も残ってはいないですが、ここで生首を洗ったというなんとも恐ろしい池でした。 以上で飛鳥時代から伝わる「大聖勝軍寺」の御案内となります! 八尾という街は京都や奈良の様に観光都市ではないですが古くからの歴史が刻まれた非常に魅力的な街です! 皆様も、古代ロマン溢れる「大聖勝軍寺」の見学に訪れては如何でしょうか。 御精読有難うございました。

最後に「大聖勝軍寺」門前に秦河勝が物部守屋の首を洗ったと伝わる「守屋池」の見学をします。 ココは、古くからの池と伝わりますが、今はコンクリート造りになっており、水も干上がった窪みになっており当時の面影も残ってはいないですが、ここで生首を洗ったというなんとも恐ろしい池でした。 以上で飛鳥時代から伝わる「大聖勝軍寺」の御案内となります! 八尾という街は京都や奈良の様に観光都市ではないですが古くからの歴史が刻まれた非常に魅力的な街です! 皆様も、古代ロマン溢れる「大聖勝軍寺」の見学に訪れては如何でしょうか。 御精読有難うございました。







名称	大聖勝軍寺 所在地	大阪府八尾市太子堂3-3-16 料金	無料 種別	神社仏閣 聖徳太子遺跡 備考	駐車場を探すのが大変です! 評価	90点

名称 大聖勝軍寺 所在地 大阪府八尾市太子堂3-3-16 料金 無料 種別 神社仏閣 聖徳太子遺跡 備考 駐車場を探すのが大変です! 評価 90点