飛鳥時代に建てられた日本最古の寺院『飛鳥寺』の魅力を徹底解説!

奈良県高市郡明日香村にある日本最古の寺院『飛鳥寺』にやってきました!  飛鳥寺は、西暦600年頃の飛鳥時代に後に蘇我馬子によって建立された日本で初めての仏教寺院です。 『飛鳥寺』で知られるこの寺院の名称は、元々は「法興寺」の名前で建立され、途中「元興寺(がんごうじ)」とも呼称される様になり現在の正式名称は「鳥形山 安居院」と言います。 当サイトでは通称である『飛鳥寺』の名前で御案内します。 ※古代の寺院には山号はなく、山号は後世付けられたものです。

奈良県高市郡明日香村にある日本最古の寺院『飛鳥寺』にやってきました!  飛鳥寺は、西暦600年頃の飛鳥時代に後に蘇我馬子によって建立された日本で初めての仏教寺院です。 『飛鳥寺』で知られるこの寺院の名称は、元々は「法興寺」の名前で建立され、途中「元興寺(がんごうじ)」とも呼称される様になり現在の正式名称は「鳥形山 安居院」と言います。 当サイトでは通称である『飛鳥寺』の名前で御案内します。

※古代の寺院には山号はなく、山号は後世付けられたものです。




▼飛鳥京という古代都市

飛鳥の地

今日観る「明日香村」の喉かな田園風景からは想像すらできませんが、この地は約1,400年前の昔に政治、経済、文化の日本の中心地として栄えた「飛鳥京」という古代都市です。 日本人なら誰でも知る「聖徳太子」もこの時代のこの地で活躍しました。 この飛鳥京が日本の中心となる時代に古墳時代は終焉し、初期の文明的な飛鳥時代へと移行していく考古学的にも貴重な場所となっております。 ちなみに、古代の「飛鳥」とは、現在の飛鳥寺境内を中心とする狭い区域を指しており現在の明日香村全体を指したものじゃなかったそうです。

飛鳥京という古代都市

▼日本最古の寺院の成り立ち

飛鳥寺正門

「日本書紀」によると蘇我馬子は、「丁未の乱」で廃仏派の物部氏と対立していた587年に勝利を祈念し、「諸天と大神王の奉為に寺塔を起立てて、三宝を流通へむ」と誓願し、飛鳥の地に蘇我氏の氏寺として建てたと云われております。 翌588年に百済から8人の技術者が派遣され造営が開始し、596年に日本最初の本格的な寺院として創建され、606年に完成しました。

▼飛鳥寺の歴史

飛鳥寺縁起

この「飛鳥寺」は、日本最古の仏教寺院ですが現在では江戸末期に建てられた本堂があるだけで、創建時の伽藍は失われ、塔や金堂の礎石だけが残っております。 では、簡単に「飛鳥寺」の歴史を見てみたいと思います。 

▼本殿

本堂

現在見られる『本堂』は、元々「中金堂」があった場所に江戸時代の文政八年(1,825年)に建立されました。中には、本尊の飛鳥大仏が祀られております。

▼日本最古の大仏

本尊

重要文化財に指定される本尊の『飛鳥大仏』の通称で知られる『銅造釈迦如来坐像』は、609年に造られた日本最古の大仏で『日本書紀』にも記される鞍作鳥(止利仏師)作の275㌢とかなり大きな仏像です。 飛鳥時代から1400年以上前から一度も動かず全く同じ場所に置かれており、これ程貴重な大仏が国宝指定を受けていないのは、1,196年の火災による損傷や、その後の粗雑な扱いによる損傷が激しく、後世に補修を受けている為といわれております。 

▼思惟殿

思惟堂

元々「西金堂」が在った場所に建てられる『思惟殿(しゆいでん)』は、江戸時代の延享二年(1,745年)に建立された御堂で、本尊に「聖観音菩薩」が祀られております。

思惟堂

▼異国の神々と日本人

鐘堂

日本人は古来より新しいものに触れ、噛み砕き、己のものとして活かす力に長けた民族です。 日本古来の土着の「原始神道」を信心して来た当時の日本に、如来、菩薩等という仏を信奉する仏教が伝来すると、大和人は「蕃神(あだしくにのかみ)」、「今来の神(いまきのかみ)」という仏神として受容する事となります。 神道とは違う仏教として教義そのものは、その後に徐々に理解されて行く事となりますが、先進的な異国の文化を吸収するツールとなる事を理解していたのかもしれません。

万葉池

万葉池

万葉池ポスト

▼都が平城京へと遷都

遺構

「なんと立派な平城京」で覚えている方も多いと思いますが、創建から約100年程経った710年に都が飛鳥京を離れ平城京へと遷都する事になると事態は一変しだします。 官寺と同等に扱われる「法興寺(飛鳥寺)」も一緒に平城京へ移転する事になり、元々あった飛鳥寺はその後も存続し「元興寺」と称される様になります。

▼落ち都の悲しさか

遺構

創建から約600年を経た1196年に目玉商品ともいえる貴重な塔と金堂を雷火で焼失する事になり、目玉が無くなった飛鳥寺は寺勢は衰える事になります。 そして、更に約600年を経た江戸時代に学者の本居宣長が飛鳥寺を訪れると門も無くなり、仮の御堂に本尊釈迦如来像が安置されるのみだったと云います。 飛鳥京が都で有り続けたのであれば、失った塔も金堂も再建され、日本最古の寺院として尊崇され続けたと思いますが、落ち都の地に寺勢を失った寺院には、再建する余力も無くなっておりました。

▼蘇我入鹿の首塚

蘇我入鹿首塚

寺の西側には蘇我入鹿の首塚が残されており、徒歩一分で見学に行く事が出来ます。

蘇我入鹿首塚詳しくは、『蘇我入鹿の首塚』を御覧ください。

▼丁未の乱

蘇我入鹿首塚

仏教が伝来する以前の日本には、「原始神道(古神道)」が存在しておりました。 その為、仏教が伝来された時に大和朝廷では異国の神を受容するかどうかの議論があり、それは時間を置いて崇仏派の「蘇我氏」と廃仏派の「物部氏」の戦となって行きます。 これが587年に起きた『丁未の乱』です。 戦いの結果、聖徳太子等の皇族や豪族を味方に付けた崇仏派の蘇我氏が勝利する事となりました。 この出来事により、日本の国家祭祀として仏教が浸透していく足掛かりとなりました。

▼ロマン溢れる発掘調査

山門址

発掘調査によって飛鳥寺の創建時の伽藍は、五重塔を中心に中金堂、東金堂、西金堂が建つ一塔三金堂式伽藍配置という配置である事が分かったそうです。 また、五重塔があった場所の地下に埋められていた心礎に日本書紀に記載のある舎利容器が埋納されていた事も判明しております。 これまでに行われた飛鳥寺の発掘調査の時に、刀や玉類、金環、金銀延板等が出土したそうで、古代飛鳥遺跡のロマンを感じますね。

門址

▼乙巳の変を経て

裏門

元々、蘇我氏の氏寺として596年に蘇我入鹿によって創建された「飛鳥寺」ですが、大化の改新前夜の622年に起きた「乙巳の変(おっしのへん)」で蘇我氏宗家が滅ぼされます。 しかし、滅亡以後も「飛鳥寺」は変わらずに尊崇され天武天皇の時代には官が作った官寺と同等に扱う勅が出され、大官大寺・川原寺・薬師寺と並ぶ「四大寺」の一とされ朝廷の保護を受けるようになり興隆します。

▼御朱印

御朱印

ここまで見て頂くと創建から僅かな期間にだけ興隆期があり、他の殆どが衰退期にあった飛鳥寺ですが、江戸末期の1825年に大坂の篤志家の援助で本堂が再建される事になります。 そして、そこから約150年経た現代には、交通手段が飛躍的に向上し日本各地から大勢の参拝客が訪れる寺院と戻りつつあります。 以上で、「飛鳥寺」の御案内となります。 日本最古の寺院の御朱印を頂きに参拝に訪れては如何でしょうか。 御精読有難うございました。

▼アクセス

住所:奈良県高市郡明日香村飛鳥682

交通:近鉄橿原神宮前駅より岡寺前行バス10分、飛鳥大仏バス停下車

自動車:飛鳥寺境内の横に有料(500円)の駐車場があります。

自転車:現地では、レンタルサイクル(有料)が出来るので自転車での散策がおススメです。

徒歩:徒歩は、少し距離があるのでおススメ出来ません。

▼参拝について

拝観時間: 4月1日~9月30日 9:00~17:30(受付は17:15まで)

     10月1日~3月31日 9:00~17:00(受付は16:45まで)

休業日 :4月7日~4月9日

料金  :一般350円/中高生250円/小学生200円