テーマパークの様な日本最大の博物館『国立歴史民俗博物館』とは?
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千葉 国立歴史民俗博物館 千葉県佐倉市の佐倉城址にある”国立歴史民俗博物館”通称:れきはく に行ってきました!! 私は、国内外の博物館・美術館を沢山巡って来ておりますが、ここは、流石国立!!確実に日本一の博物館はココですと!と言い切ってしまえる内容と情報量が詰まった博物館です。 展示点数、展示フロア共に膨大すぎてゆっくり観覧しようものなら2日以上必要になってしまいます。 なので、本日は概要をつまみつつ、私が面白いと思った物にスポットを当てご紹介します。 “れきはく”は、佐倉城址の敷地内にある為、駐車場に車を止めた場合、美しい線を持つ土塁を観ながら、入口に向かいます。
入口に入って直ぐに、漆塗装された車が目に入ります!海外では一般的に「china」は、陶器全般を指すのに対し、漆器を「Japan」と表記します。 中国の発祥の漆を日本で数千年の時を掛けて磨いた工芸技術は、千年以上の耐久性を持つ世界に誇る技術の一つです! 入場料大人420円を支払い入館します!入って直ぐに思った事が、先ず、広すぎる!!という事と、千葉の田舎にある博物館なので、てっきり千葉に特化した展示がなされていると思い込んでいましたが、日本の各年代毎をテーマに展示されており、特に千葉だけをクローズアップした博物館ではない事です。
第2展示室-中世- 第2展示室 入って直ぐに壁に展示されている巨大な「平安京」の模型が在り、ココでは主に平安時代から安土桃山時代までの日本文化を貴族・武士・庶民の目線で見学出来きます。
「柳生の徳政碑文」のレプリカ 中学生頃の教科書に載っていたので見覚えがある人も多いのじゃないでしょうか。 平安時代に農民が起こした徳政一揆で農民が勝ち取ったもので、「正長元年より以前の神戸四箇郷における負債は一切消滅した」と記載されている。 私は、大人になって意味をようやく理解した。 精巧な模型で当時の時代背景を知る事が出来ます。
「疱瘡地蔵」、先程の「柳生の徳政碑文」が刻まれた御地蔵様の像です。 恐らく原寸大のレプリカで、かなり巨大な地蔵は、博物館内でも目立っています。
日本での印刷技術の始まりは、奈良時代後期に称徳天皇の発願によって作成された100万個の「百万塔」の中に入れる経典を印刷する事から始まりました。 たしかに100万枚も経典を書く事を考えると、知恵を絞って楽する方法を考えちゃいますよね。
第3展示室-近世- 第3展示室では、様々な資料や展示物で江戸時代の人々と生活や文化が紹介されます。
日本の識字率は、中世以降常に世界で最も高いという事を御存知の方は多いと思います。 これは、学校等が無かった時代には、「寺子屋」という私塾が発達しており、士分に限らず農民の人々まで文字の読み書きが出来ました。 ここでは、そんな寺子屋が再現されており、子供たちが寺子屋を体験するコーナーが設けられています。 寺子屋コーナーの一角には、地獄や極楽を解説?する機械仕掛の劇が観劇出来ます。 専用のヘッドフォンで聞きながら穴を覗き込み見ます。 写真は、そんな風景の一部です。
展示物の中には、世界や日本の古地図等も有り、この地図は、「須弥山世界」が描かれております。 仏教の世界では、世界の中心に金・銀・瑠璃・玻璃で出来た巨大な須弥山がそびえていると考えられていたものを表しております。 今日の様に丸い地球という考え方は紀元前から異端な考え方としては在ったが、証明されるのは、16世紀の大航海時代に地球を一周したマゼランの功績を待ちます。
江戸時代に、世界有数の都市として発展した江戸城の城下町「江戸」を模型を使って説明されています。 ここでは、近世(江戸時代)に入り、それまでの都市とは大きく異なり、商業が発達し物流を意識した都市造りが行われた事が分かります。
平和な江戸時代には、娯楽等も大きく発展しました。 これは、江ノ島の土産物で扱われていた貝を素材とした孔雀の置物を再現したものです。
三尊仏 「とんだ霊宝」に基づき再現した細工の見世物。 三尊仏が魚介類によって作られています。 なんとも不謹慎な物ですがこういった娯楽等も流行し人々を驚かせ楽しませました。 現代だと奈良県のゆるキャラ「せんとくん」が仏の顔に、鬼を表す角を付けるとは!って、なんでもかんでも狭い了見で文句を言う人々に見て頂きたいものですね。
江戸時代には裕福になった農民や商工人達庶民の間で、「旅行」が流行しました。 上の写真は、旅の小道具で、携帯用枕や護身用の「道中差」、蝋燭たて等、今では荷物になるものばかり。 右下の写真は、浅草の今でいうガイドマップです。 浅草寺は聖徳太子でお馴染みにの推古天皇の時代に創建された古いお寺ですので、当然江戸時代にも有る訳ですが、こういったものを観ると不思議な気分になります。
第4展示室-民俗- 第4展示室では、日本各地の風俗に関する信仰、祭り、冠婚葬祭に纏わるものから伝承までの実寸大に再現された展示物が迫力満点で観る事が出来ます。
沖縄には「ミルク様」という不思議な布袋様の様な顔をした白い被り物をし、黄色い服を纏った神様が練り歩くという独特のお祭りがあり、これも日本文化の一つとして紹介されています。 なんとも不思議な顔をした「ミルク様」ですが、我々にも馴染み深い弥勒菩薩(みろくぼさつ)から転じて沖縄では「ミルク様」と呼ばれる神様です。 日本本土で、この様なお顔の弥勒菩薩を観る事は有りませんが、台湾やベトナム等、東南アジアで観られます。 これは、布袋様を弥勒菩薩の化身と考える中国大陸南部の弥勒信仰にルーツを持つ為です。 日本本土の文化影響よりも中国・東南アジアの文化を色濃く反映した沖縄独特の文化が紹介されています。
日本各地には、様々な伝承が伝わっています。 ここでは、日本各地に伝わる「河童」の生態から遺物までを展示しています。
「河童の詫び状」岩手県の染黒寺に伝わる、二度と悪さをしないと誓った河童の詫び状です。・・・読めない・・・ 「河伯(河童)の手」のミイラです。 自分が大人になった為か恐ろしいとは思わず「ふむふむ」と見学します。
この人形を見て子供達が泣いているのを見て、幼心を懐かしく思い出しました。 小さい頃だと絶対怖かったはずです! 「人魚のミイラ」 幕末から明治時代にかけて猿の上半身と鮭を組み合わせて作成した「人魚のミイラ」がヨーロッパ向けに輸出されました。 日本人も昔はエゲツナイ商売をしてたんですね・・・・
東北地域には藁で作った様々な神様が居ます。 このナマハゲの様な藁人形は集落の境に建てられ村に災いが侵入するのを防ぎました。 「展示室風景をざっと見ただけでも凄まじい展示品数です。
「背負い観音厨子」 如意輪観音を治めた厨子で、千葉県中部から茨城県南部にかけて、楽満寺の住職が背負って各集落を巡り人々の安穏を祈願します。 こういった風習は埼玉県の「まわり地蔵」等でも見られます。
展示物の中で異彩を放っていた「葬祭」にクローズアップしたコーナーです。 たしかに、葬式は民族、宗教、地域によって特に風俗の個性が出るものです。 こういったものは不敬だとかそういった理由で敬遠されがちですが、「歴博」では真正面から展示・解説されています。 でも、私のサイトでは、この部分は不敬なので割愛し御案内します。(オイッ!!!)
一般的な葬式の祭壇。 最近はサービス会社による豪勢な葬式が多いですが、昔の一般人の葬式はこれぐらいの祭壇だったと思い出します。(34歳いくちゃ談)
展示物の中には、古民家をそのまま実寸で再現したものから、各地の焼き物についてや、北前船等ありとあらゆる日本の文化・風俗について展示・解説されています。 正直、あまりの情報量に脳が疲れてしまいます!420円じゃ安すぎるよ歴博物館・・・・
第5展示室-民俗- 第5展示室では、「近代」を大項に19世紀後半の近代の始まりから1920年代までを「文明開化」、「産業と開拓」、「都市の大衆の時代」の3テーマで展示されています。 海で遭難しアメリカ船に助けられアメリカに渡る事になったジョン万次郎こと、「中浜万次郎」の漂流記です。 彼の得た見分知識が開国前後の日本に大きな役割を果たしました。
日本の近代化の中で重要な事が人種差別の撤廃です。 「歴博」では、そういった問題にも真正面から悪しき文化・風習として展示しています。 このお墓は、「差別戒名墓」の一つで、被差別地域に生まれ、1824年に亡くなった7歳の少女のものです。 正面の戒名は「阿桃程(玄+皿)童女座」と刻まれ、(玄+皿)の箇所は「畜」の隠し字で、被差別民を畜生と同等と視る差別観に基づいています。 差別により寺子屋等に行く事が出来ず、漢字が読めないことをいいことに付け込んで、7歳の少女に対しても当時の庶民・坊さんまでが差別観を持っていた事に驚かされます。 近年では、死んでなお差別をし助長し続けてきた仏教界では反省し、追善法要で差別戒名の改名が行われたりしております。
施設内には原寸大のジオラマ?があり、昔の街並み生活を観る事が出来ます。 博物館のレベルを超えて完全にテーマパークのレベルのクオリティーに驚かされます!!これは、大人から子供まで楽しいです。
日本の戦争にまつわるコーナも設けられており、膨大な資料を見学出来ます。 軍人の食事、寝所の風景。 戦争末期は別として戦う軍人は、結構いいもの食べています。。 三八式歩兵銃を実際に触る事が出来ます!
また、終戦直後の負けた日本の人々の様子等も展示されており、生々しいです。
昭和37年に赤羽団地に建設された「日本住宅公団団地」が実物大で再現されています。 入口、トイレは現在とは変化がないですが、お風呂が木桶の風呂が用いられている事に驚きです!! ちなみに、このシステム的な団地に大勢の日本人が憧れ、倍率が凄まじかったそうです。 現代じゃ考えられないです。
落差が激しいですが団地に入る前の庶民は、この様な住居に住んでいたそうです。 たしかに、これじゃ団地に入りたいと思っちゃいますよね。 ちなみに,トイレも悪臭漂う「ぼっとん式」だったそうです。
昭和30年代の子供たちが遊んだ玩具の数々です。 現代を生きる私は、転売目的で「欲しいなぁ」と思う事があっても、これで遊んでみたいとは思わないですが、当時の子供達は誕生日にお願いする一品だったそうです。
以上で、「国立歴史民俗博物館」の御案内となります。 この博物館は余りにも膨大な展示点数なので行かれる場合、1日がかりで行かれた方が良いです! 本当にすごい博物館なので、あまりに夢中になりすぎてしまい頭が疲れたので館内のレストランで甘い物を食べ、脳に糖分を補給し事故しない様に帰って来ました。 皆様も心して行かれる事をお勧めします!御精読有難うございました。
名称 国立歴史民俗博物館 所在地 千葉県佐倉市城内町117 アクセス 「総武本線佐倉駅」下車⇒ バス「ちばグリーンバス田町車庫行」⇒ 「国立博物館入口」下車 料金 一般420円 / 高校・大学生250円 / 小・中学生200円 営業時間 3月~9月 9:30-17:00 10月~2月 9:30-16:30 休館日: 毎週月曜日(祝日の婆、翌日) 年末年始 種別 博物館 備考 見学は丸一日必要です! 評価 95点
やろうかなぁ?やめとこうかなぁ??と悩んだら ”犯罪や人に迷惑をかける事以外、全力でやってみて下さい。”の恩師の言葉を、元にとりあえず何でもやってみる、趣味は、旅行・骨董品収集のいくちゃと申します。(最近は、ドローンも楽しいです。)
当サイトでは、旅先での出会いに感謝をし、そこで得た感動や学びを勝手に皆様と共有出来るように作っております。
ちょっとでも面白いと思って頂けたら「いいね」等はお手間が勿体無いですので、ただただ明日も見て下さい。 よろしくお願いします!!