恐ろしい血天井に、紅葉を覗く悟りの窓、迷いの窓のある『源光庵』をご案内
丸窓から除く美しい紅葉が京都を代表するポスターにも使われる京都市北区の『源光庵(げんこうあん)』にやってきました!!
「源光庵」は山号は鷹峰山(ようほうざん)という曹洞宗の寺院で、正式名称は「鷹峰山寶樹林源光庵」という古い寺院だよ。
この寺院の行き方、入場料、見所、歴史等をたっぷりの写真と共にご案内したいと思います。
▼アクセス
京都駅からの『源光庵』へのアクセスは、以下の二通りが御座います。
【公共交通機関】(約45分)
京都駅 ⇒7駅⇒ 北王路駅 ⇒徒歩2分⇒ 北大路バスターミナル(地下鉄北大路駅) ⇒市営バス12駅⇒ 鷹峯上ノ町 ⇒徒歩10分⇒ 源光庵
【車】(9キロ約25分)
・千本通り 経由がオススメです。
※渋滞はコミットしてません。
・源光庵には無料の駐車場が完備されております。
※「紅葉時は混雑が予想されるため、お車でのお越しはご遠慮下さいませ。」公式WEBに記載されております。
京都駅を起点に考えた場合、源光庵へは公共交通機関で訪れる事が出来るけど、複数回の乗換や、徒歩で次の観光スポットを目指しにくいので車で訪れる事をオススメするよ。
ちなみに、この源光庵は、かつては丹波地域と京都の中心を結ぶ街道として栄えていた鷹峯街道沿いにあり、豊臣秀吉の史跡等も見られる場所にあります。
住所:〒603-8468 京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町四七
源光庵に到着すると『血天井』なるおどろおどろしい文字の看板があり、好奇心をそそられます。
怖い寺院なの!?
境内に足を踏み入れると、『総門』という真新しい門が迎えてくれます。
この門は、後述する当寺の開山・卍山禅師の300回忌で再建されたそうです。
そして、総門を抜け更に歩を進めると丸い窓が珍しい『山門』が出てきました。
一見すると古そうな山門だけど、丸い窓が付いている点を考えると新しいのかな??
山門の横には『鐘楼』が置かれております。
ついつい鐘を打ちたくなるけど、ダメだよ!!
▼本堂
そして、山門を越えた所に本尊・釈迦牟尼仏及び霊芝観世音像が祀られる元禄七年(1694)建立の『本堂』があります。
ここで簡単に寺院の歴史を説明するね。
この『源光庵』は、今より約700年前の貞和二年(1346)に大徳寺の第二世・徹翁義享によって臨済宗の寺院として創建されたんだけど、そこから約350年程たった江戸時代頃には寂れてしまってました。
そこに加賀国(現在の石川県)大乗寺の卍山道白禅師が現れ元禄七年(1694)に曹洞宗に改められ再興され今に至るんだよ。
だから、再興されてから数えても300年以上の歳月を経た古刹なんだ。
▼拝観料と拝観時間
拝観料は以下の通りとなり、紅葉が見頃の11月のみ僅かに値上げがあります。
拝観料
通常時 | 大人(中学生以上) | 400円 |
小人 | 200円 | |
11月(紅葉) | 大人(中学生以上) | 500円 |
小人 | 200円 |
2019年6月1日~2021年10月下旬(予定)まで工事の為、長期拝観休止になっているから要注意だよ。
拝観時間 | 9:00~17:00 |
では、庭を観ながら本堂内を拝観します。
中庭を観ると紅葉も終盤となっており、殆どが散ってしまっておりました。
では、次に本日のメインディッシュを堪能しに行きますが、その前に・・・
▼伏見桃山城遺構血天井
ここから血天井を観ていくんだけど、源光庵が面白くなる様に血天井が出来るまでの歴史をお勉強するよ。
あ、でも長いので面倒くさい人は飛ばしてね!!
時代は、豊臣秀吉(慶長三年没)が亡くなって少しした頃です。 この頃の徳川家康は豊臣政権を動かす五大老の筆頭になっており、所領二百五十万石を背景に実質的に天下の権を握ったも同様でした。 そうした家康の動向に異を唱える大名達が世を騒がしだした慶長四年三月に家康は伏見桃山城に入り、歴史が動き出します。
陸奥、会津若松にあって百五十万石の所領を持つ五大老の一人である上杉景勝が謀反を起こす可能性があるとの情報を入手した家康は慶長五年(1600)六月に鳥居元忠、松平家忠、内藤家長を留守居に伏見城に配置し会津へと軍備を整えて向かいました。
家康が伏見城を出る前に、元忠に「わずかばかりの兵を残していくが、伏見は要害であるから頼むぞ」と云います。
それに対し元忠は「会津は強敵です、一人でも多くの兵を連れて行かれた方がよろしいと思います。 伏見城は私一人で結構です。 もし、伏見で変があっても誰も助けてはくれますまい。 たとえ何万の兵をに残されても結局は同じことです。」と返します。 そして、元忠は続けて「もし会津出兵中に変時がなければまたお顔を拝する事が出来ましょう、しかし事あればこれが永遠のお別れです。」 と云いました。 この元忠の言葉が事実となってあらわれたのは、家康が江戸へ入り軍勢を整えていた時です。
七月十八日 伏見城守護の元忠のもとへ石田三成らが使者を立て、「伏見の城は太閤が築かれたもので徳川のものではない、早く城を出て大阪の秀頼へ忠を尽くされては如何」と申し入れてきました。 これを前後して三成は罪状十三箇条(家康は太閤の遺言にそむき秀頼をみすて政務を独裁している)を並べ諸方に奮起を促し、その呼びかけに集まった兵力は九万三千七百余り、家康を迎え撃つ拠点として血祭りに伏見城開城を迫ります。
元忠は「主君家康公は、会津へ出発の折、固く城を守るべしと言い残しておかれた。 どうして主君の命に背けようか、かくなる上は城を枕に討ち死にする以外にない。」と拒絶します。
これを大阪方の首脳陣が聞くや翌十九日夕刻、三成に加担する兵四万が城兵わずかに千八百人で守っていた伏見城を包囲しました。 そして始まった伏見城の攻防は十日余り続きますが、七月末の夜ついに忍びの甲賀の者が内通し城内に火を放ち大阪方の兵がどっと乱入してきました。
頑強に籠城していた伏見の城兵達は矢尽き刀折れ、内藤家長五十五歳をもって戦死、松平家忠も四十五歳を一期に散り、部下将卒すべて切腹へと追いやられます。 鳥居元忠は戦い疲れて本丸玄関に腰をかけ息つぐところへ雜賀孫一(秀吉直属の鉄砲頭)が死体を踏み越え肉薄します。 これをみた元忠は「われは総大将鳥居彦右衛門なり、首を取って功名にせよ。」と叫び自ら腹を掻っ切りました。 ときに元忠六十二歳、ともに討ち死にした部下三百八十人と云われます。 鳥居元忠の首は大阪京極橋口に晒されましたが、生前の元忠と交わりのあった京の呉服商佐野四郎右衛門が「さらし首とはあまりにむごい」と夜半に盗み出し知恩寺の墓に葬ったと云われます。
当寺で観られる血で染まった天井は討ち死にした兵士の残せるもので、伏見城の床板を供養の為に寺の天井とし『血天井』として今日に伝えます。 その血板は本堂全域の天井にわたるが数と処に於いて鮮明な足型、手形等の血跡があり当時の凄惨さを物語っています。 当寺は開山卍山禅師と徳川家との密接な関係により、当寺本堂再建の際、伏見桃山城の床板の一部を移したもので、諸兵の菩提を弔って居り、現在文化財として維持しております。
全部読んでくれた人はご苦労様です。
そして、いよいよの血天井だよ!
天井を見上げると、黒い染みが見られます。
「こんなものかぁ~」となる人も多いと思いますが・・・
よく見ると、指先がくっきりと分かる「手形」が見えます。
げっ・・・本当に見える・・・
こっちは、手の甲まで分かります。
こちらは「足裏」が見えます。
そして、こちらは横たわった顔から胴体、足にかけての跡が見られます。
他にも明らかに血を拭った跡なども見えます。
これほどくっきりと見えるのはね「伏見城の戦い」が行われてから2ヶ月後に「関ヶ原合戦」が終結するんだけど、更にそれから一か月後ぐらいに片付けが始まったと云われていて、その為3カ月以上も放置されていたから遺体が腐敗し体液が染み込んだからと云われているんだよ。
伏見城の戦いは7月だから、暑い季節で遺体もどろどろに溶けてたって事ですね・・・
はい。 生々しくグロテスクな世界だったと思います。
では次にお堂内も見て行くよ。
源光庵には御本尊に釈迦如来が安置されております。 ベールの向こうの仏像が気になりますね。
御本尊の横には、鳥居元忠の位牌がありその菩提を弔っております。
▼悟りの窓、迷いの窓
そして、この寺院のメインディッシュとなる『悟りの窓』、『迷いの窓』を見学します。
上の写真の通り紅葉が美し見えます・・・といいたいのですが、既に紅葉は既に終わってしまっておりましたので、有り合わせの画像を使った合成写真です。
こう見えたらいいなぁとの願望です。(紅葉は桜やアジサイを見に行くのと違い、特にタイミングが難しいんです。)
本日の実際はこんな感じに見えました。 美しさも何も無いですが・・・
この丸窓と角窓が、それぞれ『悟りの窓』、『迷いの窓』と呼ばれているよ。
『悟りの窓』と呼ばれる丸窓は「禅と円通」の心、すなわち何事にもとらわれない、おおらかな境地、ありのままの自然の姿や大宇宙を現していると云われてるんだ。
また、『迷いの窓』と呼ばれいる四角い窓は、人間が誕生し、一生を終えるまで逃れることのできない過程である生老病死の四苦八苦、つまり「人間の生涯」を4つの角で象徴していると云われているよ。
いずれも仏教の真理を現しているんだよ。
そんな意味があるんですね。
後付け感がありますが、意味を知って訪れると面白そう!!
さらにお堂内の散策を続けます。
本堂裏は完全に散ってしまっておりましたが、前庭の木々は綺麗に紅葉しておりました。
紅葉の赤は何とも言えないね~
江戸時代中期の画家、山口雪渓によって描かれた見事な襖絵も見ごたえがあります。
▼さいごに
最後に、御朱印を頂き当山を後にします。
以上で、恐ろしい血天井に、紅葉を覗く悟りの窓、迷いの窓のある『源光庵』のご案内となります。
怖いもの見たさの興味本位から寺院の景観と歴史に触れてみては如何でしょうか。
ご精読ありがとうございました。
みんなも、おいでね~
▼最寄りの宿
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