『徳川家康』を祀る絢爛豪華な大神宮”日光東照宮”を徹底解説!!
栃木県日光市にある「徳川家康」を神として祀る大神宮”日光東照宮”にやってきました!! この神社に祀られる「徳川家康」は戦乱の世を治め元和2年(1616年)に亡くなりました。 亡骸は家康の遺言「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」に従い、静岡にある「久能山」に神葬され、1年後の元和3年(1617年)に当時は「東照社」であるこの神社に遺骸?魂?が移されました。 尚、現在の豪勢な社殿等は三代将軍「徳川家光」によって寛永13年(1636年)に造替されたもので、その後の正保2年(1645年)に朝廷より「宮号」を賜り、名称も「日光東照宮」となりました。 この大神宮の豪華さは圧巻で、江戸時代には朝鮮通信使も招いており日本の国威を知らしめる等、政治にも使われてきました。 そんな「日光東照宮」をまたもや大量の画像で御案内致します!!
この写真は、「足尾銅山を午前中に出発し12時頃に日光東照宮の真ん前を通りすぎ駐車場を探したが、どこもかしこも大混雑で動けなくなった状態で4時間のバックミラー越しの図」です・・・(;´Д`)結局、15時30分頃に駐車出来ましたが、辺りも若干薄暗くなって来てます。 連休等には、車では絶対に来ない方がいいです(*ノд`*)σ
公営の駐車場に止める事が出来ず、15時30分でお店を閉めた中華屋さんが駐車場を700円で開放していたので、運良くそこに駐車後、日光駅から日光東照宮まで続く国道119号線沿いの御土産屋さん街の通りを歩いて「日光東照宮」を目指します
「日光東照宮」の前にある大谷川にかかる朱色が美しい木造の”神橋”に到着しました。 この橋は、奈良時代後期に勝道上人が日光を開山する時に、大谷川の為に道を阻まれた。 そこで神に祈ったところ雲の中から深沙王が現れ2匹の蛇を放った。 放たれた蛇の背から山菅が生えて橋になったという言い伝えがある橋です。 現在の橋の原型は、寛永13年(1636年)に作られたもので、明治35年(1902年)の洪水で亡くなり、2年後の明治37年(1902年)に元の形に再建されたものです。
橋は有料で渡る事が出来ます。 お金を払いたくない人は別にこの橋を使わなくても横の橋を使えば無料で渡れます。 渡るのは、御利益や観光という意味があります。
橋を渡りたい人は、大人300円で渡ることが出来ます。
橋を渡らない私は、国道から橋を見学しつつ「日光東照宮」を目指します。
「世界遺産 日光の社寺」と書かれた 立派な石碑が置かれた入り口に到着です!
小川が流れる雰囲気ある石段を登り進みます。
このまま一気に、雰囲気ある世界に突入するのかとワクワクしてきました! ちなみに、この写真は運良く人が少なく見えるタイミングで写真を撮りましたが、凄い人が来てます。
小川流れる石段を過ぎると、開けた場所に出てきました。 車が並ぶ観たくもない現代的な風景が広がっており、石段を登るたびに期待が高まっていた分、かなりガッカリしました。
勝道上人之像 日光東照宮への入り口になる駐車場前に建てられた「勝道上人之像」方面に歩いて進みます。 やたらと帰宅間際の外人さん達が必死に撮影していましたが、恐らく誰なのかを分からず撮影しているんだと思います。 ちなみに、「勝道上人」は、奈良時代後期から平安時代初期の僧侶で、日光東照宮に家康を祀る約800年前に日光を開山した事で知られています。
一見するとビルになったかの様な、平成の大修理中の「輪王寺三仏堂(本堂)」前に到着致しました! この「三仏堂」が置かれる輪王寺は、明治時代の神仏分離令以前は、「輪王寺」、「東照宮」、「二荒山神社」を総称して「日光山」と言われていましたが、神仏分離令以降は「東照宮」、「二荒山神社」と合わせて「二社一寺」と称されるようになりました。 輪王寺の歴史は古く「東照宮」が置かれる遥か昔の奈良時代に創建され、平安時代には空海や円仁らが来山したと伝わる由緒ある寺院です。 見えている三仏堂は、正保4年(1647年)に三代将軍徳川家光により再建されたものになります。 ちなみに、「輪王寺」というお寺は無く日光山中にある寺院群の総称であり、この「三仏堂」もその一つである事を覚えて行くと楽しくなります。
先ず、「輪王寺三仏堂(本堂)」を拝観する為に、入場券を買いに行きます。 ここに来た事が無い人の為に、元「日光山」と呼ばれた「輪王寺」、「東照宮」、「二荒山神社」は、今も関係はあるでしょうかが、別々の組織になっている為、個々で拝観料が必要となります!! 分かりやすく料金表を下に書いてみます。
東照宮 二荒山神社 輪王寺 東照宮拝観 境内無料 三仏堂 1,300円 400円 宝物館 神苑 宝物殿・逍遥園 1,000円 200円 300円 五重塔内部 神橋 大猷院 300円 300円 550円
セットで回る事で100円程安くなりますが、全部回ると1名4,100円が必要になります。
セットで購入して回るのが若干お得ですが、只今の時刻が16時なので全てを回る事が出来ないので、先ずは、「輪王寺三仏堂(本堂)」の平成の大修理中にしか見れない組立場所を観るために400円を払い、チケットを購入しました。
囲う前の三仏堂は、こんなんでしたよーというガッカリな絵で描かれた本堂を観ながら中に入ります。
階段を上って最初に目に入る「金剛桜」と看板に書かれた大きな桜を見学します。 ここにある看板には驚愕の事が書いてました要約して書くと≪120年前の明治政府による神仏分離令により二荒山神社の境内にあった日光山の総本堂である「三仏堂」が、現在の位置に移築を余儀なくされ移動して来ました。(マジか!神仏分離令って国造りの大変な時期にそこまでやったのか!) 当時の門跡「彦坂諶厚」大僧正は、三仏堂に相応しい景観を整えようと隣接境内に生える山桜を移植しました。 当時ですでに樹齢400年の老木でした為、直ぐに枯れるだろうと誰もが思っていましたが、大僧正が毎日お経を唱えたところ以前にも増して樹勢を取戻し、今日に至りました。 「金剛桜」の名前は、大僧正の諡名である「金剛心院大僧正諶厚大和尚」から、大僧正の縁の桜として呼ばれるようになりました。≫ たしかに、樹齢500年を超える桜も凄いですが、こんなにも巨大な建造物を「神仏分離令」なる命令だけで移築してきた事に驚きました!
内部には、三尊仏等が仮置きされたており真ん前から観る事が出来、工事中ならではの展示を楽しむ事が出来ました。
そして仮組された鉄製の階段を登り工事中の「輪王寺三仏堂(本堂)」を見学に行きます。
銅版の屋根を張りなおしているところの様子です。 堂内の至る所で現金2000円を払えば、銅版にマジックで願掛けを書く事が出来、書いた銅版は大屋根のどこかに貼ってもらえるそうです。 願掛けとは目的が異なりますが数百年後、数千年後にも残る「輪王寺三仏堂(本堂)」に自分の生きた痕跡を残せるのはロマンがありますよね!(私は、1万円旅中の為断念しました。)
三代将軍・徳川家光によって建立された当時に使用された銅瓦は、足尾銅山で産出された銅版が使用されました。 ここからだと20キロ程で、足尾銅山に行く事が出来るので正に地産地消そのものですね。
平成大修理中の限定で「輪王寺三仏堂(本堂)」を覆う仮屋の7階渡り廊下が「天空回廊」と名付けられ、展望スペースとして日光門前町の眺望を楽しむ事が出来ます。 大屋根の高さと同じ地上27メートルからの景色は非常に良かったです。
この風景が次に観れるのは100年後でしょうか?150年後でしょうか?確実に、私が生きている間に観る事が出来ない風景ですね。
「輪王寺三仏堂(本堂)」の見学後、順路に沿って「東照宮」と「護摩堂」方面へと進みます。
途中見える日本庭園は、歩きながらの見学となりますが非常に美しかったです。
個人的に、良い写真だなと思えたショット。
途中、あまり観光客が立ち寄らない場所ですが「御法天堂」に寄ってみます。
「御法天堂」は、1600年頃に創建され江戸前期に再建され輪王寺境内の建造物の中で最古のものと言われております。 もともとは、大黒天・毘沙門天・弁財天が祀られていましたが、大護摩堂に遷され安置されています。 現在のこの御堂は、一般の方に向けた護摩焚きの祈祷を行う御堂としてあります。 ちなみに「輪王寺三仏堂(本堂)」は、国家そのもの等大きな祈願を行う御堂となっており、大小分かれています。 こうった事を知って観ると、小さな御堂でも楽しく観る事が出来ますよね!
護摩堂に到着しました!
三仏堂の裏手に建つ「護摩堂」は、1998年に建立された護摩祈祷所です。 御本尊に「五大明王」が安置されている他、およそ200体の仏像が祀られています。 内部では、毎日護摩を焚き祈祷か行われています。
護摩堂の前に置かれた不思議な塔は、「相輪塔」と言います。 これは、寛永20年(1643年)に三代将軍・徳川家光の発願により天海大僧正によって建立された高さ約13㍍の青銅製の法塔で内部には膨大な経典が収められています。 この塔の始まりは、天台宗の宗祖最澄によって日本国を法華経の仏威によって守る為、6ヶ所に「相輪塔」を建立した事に始まり、現在には日光の「相輪塔」と、「比叡山」、栃木県の「大慈寺」の3基が残っています。
護摩堂横に、ぽっつと建つ雰囲気のある御堂は「光明院稲荷社」と言います。 何気なくあるお宮さんですが、鎌倉時代中期に日光山輪王寺の二十四世弁覚僧正によって建立された神社で非常に古い歴史を持つ神社です。 古来より日光山五大稲荷として学業成就家業繁栄の祈願に信仰されてきました。
日光東照宮内のこの場所の標高がスカイツリーの高さ「634㍍」と同じであるとの事らしいです。・・・・・で??要りますかねこの情報??
そして「輪王寺」群の見学を終え「日光東照宮」へ向かいます!元々は、一緒の物でしたので一続きで歩いて行くことが出来るので便利です。
夕方だって言うのにも関わらず大勢の観光客が訪れています。
鳥居の上には、後水尾天皇から1617年に勅諡された徳川家康の神号「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」と書かれた扁額があります。 ちなみに、扁額(へんがく)とは、門・鳥居などの高い位置に掲出される額の名前です!
日光東照宮の境内に入って最初に目にはいる五重塔に向かいます‼日光東照宮・五重塔 この五重塔は、徳川家譜代の臣「酒井忠勝」によって慶安3年(1615年)に創建された塔で、文化12年(1815年)に落雷で1度焼失しています。 それから3年後の文政元年(1818年)に子孫で十代藩主・酒井忠進によって再建されたものです。 高さは36㍍程あり、塔の真ん中を通る懸垂式の心柱は、当時の優れた免震技術とも言われスカイツリーにも技術が応用されたと言われます。 地面から10㎝の高さにぶら下がっているのが床下の隙間から見学する事が出来ます。
私が訪れたこの日は、約400年間開帳していなかった五重塔内が期間限定で開帳しており、300円の拝観料を払い見学します! 係の方に聞いたところ寺院関係者や坊さんまで含めて400年間誰も開けたことが無かったそうです。 もちろん五重塔の修理の際等にも開けることなかったそうです。 その理由は、秘仏があるとかじゃなく、単純に開けて入るようなものじゃないからだそうです。 ちなみに、五重塔は存在そのものが供養塔という事で、内部は見える範囲だけが金箔や朱色等で彩られてますが何も中には入っていませんでした。
極彩色の彫刻が美しい五重塔正面写真です。
斜めからの写真も!
五重塔の見学も終えたので「日光東照宮」の中心部へ進んでいきます!
やろうかなぁ?やめとこうかなぁ??と悩んだら ”犯罪や人に迷惑をかける事以外、全力でやってみて下さい。”の恩師の言葉を、元にとりあえず何でもやってみる、趣味は、旅行・骨董品収集のいくちゃと申します。(最近は、ドローンも楽しいです。)
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