心霊スポットとしても有名な戦国時代屈指の土塁を持つ佐倉城址にある”佐倉城址公園”を徹底解説!!
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千葉 佐倉城址公園 戦国時代の千葉氏26代当主、千葉親胤の命により築城が行われ、その後、徳川譜代の臣によって治められた千葉県佐倉市にある佐倉城址にやってきました! この城は明治時代の廃城令によって打ち壊されており、現在は城跡を偲ばれる土塁や空堀等が見えるだけの公園になっておりますますが、訪れて分かるスケールの大きな城です。
「佐倉城址公園」の敷地内には国内屈指の「国立歴史民俗博物館」が有ります。 見応えが凄い博物館なので、公園散策と一緒に行かれる事をおススメします!!
この「佐倉城」は、標高30m程の小高い台地形の山に建てられた平山城で公園の駐車場(無料)へは登る様に進んでいきます。 敷地内は、平に均されており散策するのには丁度いい塩梅になっております。
平成18年に佐倉ライオンズクラブによって市に寄贈された「堀田正睦」公の銅像。 開国の父と呼ばれた堀田正睦は、佐倉藩に西洋学問を奨励し幕末期の老中として幕末の日本を開国に導いた佐倉藩主です。
この城は明治時代の廃城令までは、城門や天守等が残っていた事が当時の写真等で分かりますが、現在は立て看板のお蔭でなんとか、うっすらと城だったのかな??と分かる程度になってしまっています。
一の門跡 門の礎石なのか、近年に門址に囲いを付けたのか?不明です。 石垣が使われていないこの城は土塁で構成されています。
さっぱりとした草原の様なココが、天守があった場所です。 天守閣は、垣根の様な木々で囲まれた場所にあったそうで、見た感じはそれ程大きくなかったものと思われます。
天守閣は、段々となったココに建設されていたそうですが現在は、何がなんやら・・・
城内にかろうじて残る遺物を探して散策。 公園内の看板のお蔭で辛うじて意味が理解出来ます。
佐倉城には、明治6年に第一軍管東京鎮台佐倉分管が置かれ兵営が設営されました。 その後に、この場所へ大正9年に兵営と大手門とを直通させる新道作りました。 この石碑は、その新道の完成記念碑となります。
佐倉城址公園は、非常に広く15万石の大名の城とは思えない規模のお城です。 城の至る所に見える土塁の大きさも実際に見て頂くと驚く筈です。
この案内図の城の形状を見て頂くとお分かり頂ける通り、当時は非常に立派なお城だった事がわかります。 天守付近の見学を終えた後は「姥が池」に進む為に山を下ります。 ここで初めて、上り下りとなるので山頂に居た事が分かります。
下る途中にも見える空堀の跡です。 空堀と聞くと防御効果が薄そうですが実際に見てみると急勾配となっており、登るのも至難、下るのも至難で正に難攻だと分かります。 そして到着!姥が池!! 千葉県内の心霊スポットとしても有名なこの池の名前の由来は、江戸時代に、この池の周りで家老の娘の御守りをしていた姥が誤って娘を池に落としてしまい、困り果てた姥が身を投げて以来「姥が池」と言われるようになったとの事です。
昼間に訪れると心霊スポットとは思えない程、綺麗な場所ですが、池は城内からだと奥まった場所にある為、たしかに夜に一人でこの場所を訪れるには勇気が居る事が分かります。
以上で「佐倉城址公園」の御案内となります。 広い園内ではキャッチボールをしている子供達や、ピクニックにきている家族連れ等が楽しそうに遊んでいました。 また、隣接する歴博も老若男女問わず楽しめる場所になっておりますので皆様も一度遊びに来ては如何でしょうか。 御精読有難うございました。
名称 佐倉城址公園 所在地 千葉県佐倉市城内町官有無番地 電話番号 043-484-0679 料金 無料 駐車場 無料 種別 公園 城址 備考 夜は心霊スポットになっています。 評価 82点
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