旧日本軍が造った神奈川県横須賀市にある無人島『猿島要塞跡』へ潜入調査!
神奈川県横須賀市にある無人島『猿島要塞跡』へ行ってきました!
この無人島は、旧日本軍が残したレンガ積みの要塞跡が残されるノスタルジックな風景が魅力で、近年では撮影スポットとして多くのコスプレーヤーが訪れる事で知られております。
私は、今回で2回目の来島ですが、前回は曇りの中の強行軍で訪れてしまった為、折角の写真も薄暗くなってしまったので晴天の日を選びやって来ることが出来ましたので歴史・自然といった魅力の詰まった『猿島』の、その歴史と共に大量の画像で御案内致します!
▼船で渡ります!
猿島へ行くには、神奈川県横須賀市の三笠公園から運航されている渡船に乗って向かう事になります。 ちなみに、この「三笠公園」は、日露戦争の日本海海戦に勝利をもたらした世界三大記念艦と云われる「戦艦三笠」が展示されており、これの見学だけでも十分楽しむ事できます!
そして、これから行かれる方の為、下記に運航情報と渡船・入園料を記載しますので、参考にして下さい!
【運航日時】
・3月~11月:AM8:30~PM16:30 の一時間毎に運航
※毎日運航
・12月~2月:AM9:30~PM15:30 の一時間毎に運航
※土・日・祝日のみ運行
【渡船・入園料】
運賃(往復):大人1,300円 / 子人650円
入園料:大人:200円 / 小・中学生100円
※つまり、大人1,500円と子供750円です。
定刻通り出発する船に乗り、航跡を残しつつ「猿島」に向かいます! 本日天気晴天でかつ波低し!まさに冒険日和です!
本日訪れる猿島は対岸の横須賀からも丸見えの場所にあり、船に乗る事約10分程でしょうか?あっという間に到着しました!
考える事は皆同じですね。 晴天の本日は、大勢の観光客が渡船しており、船着き場にはげんなりする程、帰り客が行列してました。
ただ、私はそれを見越して15時30分の便で渡ってきてました。 この島は、1時間もあれば全て観る事が出来るので、朝いちばんに来れないなら、夕方の最終便前に訪れて約1時間の見学で帰るコースなら混雑しないで観る事が出来ます。
▼海水浴場
船着き場には、この島唯一のビーチが有ります! 夏には、多くの観光客がココで海水浴を楽しんでますが、申し訳ないが、濁っており、そんなに綺麗な海じゃないです。
▼手ぶらでBBQ
船着き場から島内に入る直ぐそばには、手ぶらでBBQを楽しむ事が出来る施設が有ります。
ここでは、最安だとのコンロセット(3,500円)+食材(1,380円)×人数でBBQを楽しめます!
ちなみに、猿島にはBBQ用品(コンロ、ガス、燃料)のお持ち込みはできませんが、食材の持ち込みは自由です。
▼島内散策
ここから約1時間の冒険の始まりです!
≪ 発電所(明治時代中期) ≫
この建物は蒸気機関による発電所として、明治二十八年(1895)に完成しました。
建物の構造は、レンガ積みだけで自立した壁と、木造キングポストトラストという小屋組の屋根で構成されています。
建物内部には汽罐室(きかんしつ)と発電機室、石炭庫があり、汽罐室の下には蒸気機関で使う水を貯めていた地下水槽の存在が明らかになりました。
ここで作られた電機は、建物の裏から切り通しを伝って島の中央部高台にある照明所に送られていました。
~看板より~
森を抜けると、明らかに人工的に掘り込まれた「切通し」に出てきました! ここから要塞施設が始まりだします。
≪ 猿島要塞 ≫
要塞とは、外敵を防ぐための防御施設です。
猿島要塞は東京湾口の守りを固めることを目的として、明治時代中期に明治政府が建造しました。
すべての施設が岸壁を掘り込んで造られているので、島の外からは、まったく見えない構造になっています。
さて、露天掘りの幹道に沿っていくつかの部屋が並んでいます。
小窓のあるのが兵舎で、窓の無い部屋は弾薬庫です。
弾薬庫のすみには、真上の砲台に弾薬を運ぶためのものと思われる井戸のような穴が開いています。
さらに進むと幹道はトンネルに入ります。
トンネルの壁沿いにも、壁を掘込んでか二階建ての部屋が造られています。
これらの部屋も兵舎や弾薬庫のほか、病室や司令室として設けられたと考えられています。
このように猿島の要塞は、数々の工夫がされた見事な要塞でした。
しかい、関東大震災で一部が崩壊したことや、飛行機や長距離砲が急速に発達したことにより、実践で使われることはありませんでした。
その後、猿島は第二次世界大戦中に軍事施設として復活しましたが、方座や監視所などは新たに造られ、赤レンガの要塞は手を入れられる事無く、現在まで残されたのです。
~看板より~
素人目には、用途が何だったんだろう?と分からない施設跡が並んでおり、想像力を働かせるのも楽しいです。
切通しの中は、気持ち湿度も高めに感じます。 今は観光客が大勢訪れる場所になっておりますが、いずれは苔むした姿になっていくのかもしれないです。
今では、誰でも立ち入る事が出来る島ですが、要塞であった当時には一般人が立ち入れない場所でした。
当時は階段として使われていたと場所も、シダ植物によって元の姿に戻されつつあります。
≪ 弾薬庫(明治時代) ≫
切り通しの東側には兵舎と弾薬庫が交互に並び、小窓の無いこの部屋は弾薬庫として使われていました。
アーチ状の入口はこの先のトンネルと同じフランス積みのレンガ構造物です。
部屋の隅には井戸の様な縦穴があり、これを使って真上の第二砲台へと弾薬を運んでいたと思われます。
また別の弾薬庫の地上には、地下の弾薬庫と連絡を取る為の円形の土管を利用した伝声菅も見つかっています。
~看板より~
人が少なくなる時間を狙ってきたので、島内は寂しくなっておりました。
≪ フランス積レンガ建造物 ≫
日本でのレンガによる建築は、幕末の長崎に始まり、文明開化とともに全国に広がりました。
しかし、そのほとんどは地震や老朽化により失われてしまいました。
近年の日本建築学会の調査によると明治20年以前のレンガ建築物は、現在、全国で22件が確認されているのみです。
猿島の要塞跡もそのひとつで、愛知県産の品質の高い赤レンガを用いて、明治時代中期に建造されました。
ところで、レンガの積み方は、大きくは「フランス積」と、明治20年ごろから主流となった「イギリス積」に分けられます。
この要塞は、フランス積によるものでフランドル地方(ベルギー西部~フランス北端にかけての北海沿岸)で発達したため、正式にはフランドル積といいます。
フランス積のレンガ建造物は、もともと数が少なかったこともあり、この要塞跡も含めて全国で4件が確認されているのみです。
この様に猿島の要塞跡は、「エキゾチックな雰囲気」もさることながら、建築史上とても貴重な建築物といえるのです。
~看板より~
この島の中でも、人気撮影スポットの一つである「レンガ造りのトンネル」では、人のいない時間を狙い札駅材を広げ、なにやら撮影しているモデル?とカメラマン?のペアが数組いました。
≪ 砲台地下施設(明治時代) ≫
トンネルの中にも地下施設が存在します。
地下施設はフランス積みレンガ構造の2階建てでトンネルの西側に並んでいます。
このアーチ状の開口部は2階と西側斜面へ上るための階段の出入口で、山頂付近にあった司令所や照明所への重要な連絡通路でした。
これら地下室の個々の用途は不明ですが、猿島砲台全体の弾薬を貯蔵する大本の弾薬庫としての利用は確認されています。
~看板より~
レンガのアーチが美しいトンネル内部はひんやりとしておりました。
この島はどこをを切り抜いても絵になります。
≪ 第一砲台(明治時代) ≫
ここは、第一砲台の関連施設だったと考えられています。
台地上の両側には27㎝加農砲が一門ずつ設置され、砲台下には弾薬庫や弾を上げるための井戸が陸軍によって建設されました。
その後、海軍が高角砲を設置し、その通路として弾薬庫を貫いてトンネルとし、現在に至っています。
左側に見えるトンネルは島の東側へ抜ける道で、出口が直角に曲がっており、海上から見えない様に工夫されています。
~看板より~
この島に来る場合、出来る限りサンダル等はやめた方が良いです。 それ程標高こそ高くないですが、山歩きに適したスニーカー等で来られた方が良いと思います。
奥に見える展望台の様な設備は、第二次世界大戦中に造られた観測所です。 ちなみに、ココは仮面ライダーのロケ地で知られる場所で、ショッカーの日本支部として撮影されたスポットなんです。 今は老朽化の為、立ち入り禁止になっております。
直接中に入れる「砲台跡」が一ヵ所残っておりました。 この砲台跡は、海が見えない位置にあり、残される遺構から恐らく高射砲が置かれていたと思われます。 敗色が濃厚になった第二次世界大戦末期には、東京も大規模な空襲を幾度も受けており、日本の高射砲はB29等の高高度を飛ぶことが出来る爆撃機には当たらなかったと云われますが、実際はそこそこの戦果が上がっていた事が分かっており、もしかするとこの位置から撃たれた砲弾によって米国の航空機を葬ったかもしれないですね。
横須賀方面の海が見れる「広場」です。 島全体には休憩できるベンチが数か所ありますが、休憩して一番気持ちがよさそうな場所がココです。
側でみると汚い海でしたが、遠くから観ると深い青が美しい海に見えました。
≪ 砲台跡 ≫
日本が鎖国をしていた19世紀中ごろ、江戸幕府は異国船の江戸湾侵入を防ぐために、全国初の台場(大砲を据える台)を猿島に建設しました。
以来、猿島は”要塞の島”としての歴史を歩みはじめたのです。
やがて明治時代中期、明治政府は、東京湾口の守りを固めるために、猿島に砲台と要塞を設けました。
砲台には敵国の戦艦を迎え撃てるように、フランスから輸入したカノン砲が配備されました。
しかし、海から空へと、戦法の主流が急激に変化したこと等により、実践で使われる事はありませんでした。
その後しばらくの間、猿島は軍事拠点としては忘れ去られていましたが、第二次世界大戦の激化とともに戦雲が本土へと迫り、再び防衛施設として活躍されることになりました。
昭和16年ごろより鉄筋コンクリート製の円形の方座が5座造られ、その上には高射砲が配備されました。
これが現存する高射砲の砲台跡です。
高射砲は終戦を迎えるまで空に向かって火を噴き続けましたが、終戦と共に進駐軍に解体され、砲台だけが残されました。
~看板より~
≪ 日蓮洞穴 ≫
台座址だけが残る砲台跡の見学後、「日蓮洞穴」を目指します。
この島で唯一体力を奪われる道がココです。 この階段を降りて海側にある「日蓮洞穴」と呼ばれる洞穴を目指します。
島の北端にあるこの「日蓮洞穴」は、弥生時代中期~古墳時代後期(約2000年~1400年前)の人々によって利用されました。
洞穴内には貝塚が残され、火を焚いた後も発見されました。
貝塚からは、壺や甕などの土器、シカの角を材料とした釣針やヤス先、人々が捕獲して食用とした貝や魚、鳥などの骨が出土しました。
これらの遺物を残した人々は岩場で貝類や海藻を採取し、春から秋にかけてはカサゴ・真鯛・クロダイなどの釣り漁や突き漁、秋から春にかけてはウミウ・ヒメウなどの鳥猟を行い、日蓮洞穴を一年を通して利用していたと考えられています。
また、江戸時代の貝塚も見つかっています。
~看板より~
▼さいごに
以上で、『猿島要塞跡』の御案内となります! エキゾチックなこの島には、沢山の魅力が詰まっておりました! 皆様も冒険に訪れてみては如何でしょうか!御精読有難うございました。
▼アクセス
神奈川県横須賀市稲岡町82
やろうかなぁ?やめとこうかなぁ??と悩んだら ”犯罪や人に迷惑をかける事以外、全力でやってみて下さい。”の恩師の言葉を、元にとりあえず何でもやってみる、趣味は、旅行・骨董品収集のいくちゃと申します。(最近は、ドローンも楽しいです。)
当サイトでは、旅先での出会いに感謝をし、そこで得た感動や学びを勝手に皆様と共有出来るように作っております。
ちょっとでも面白いと思って頂けたら「いいね」等はお手間が勿体無いですので、ただただ明日も見て下さい。 よろしくお願いします!!