湘南・鎌倉エリアの人気観光スポット『江の島』の歴史を探りに潜入調査!
神奈川県藤沢市の人気観光スポット『江の島』にやってきました!! 「江の島」は日本を代表する景勝地の一つで、毎年多くの観光客が訪れる事で知られております。 しかし、実際この島に関する歴史や成り立ちを知らない事に気付き潜入調査する事となりました。 果たして、どんな魅力があるのか!?
▼江の島弁天橋
「江の島」へ入るには、無料で渡れる「江の島弁天橋」を渡り、入島する事になります。 「江の島」が地続きと聞いておりましたので、どこかしら他のルートでもあるのか?と見渡してみましたが、どうやら橋を使うしかない様です。
≪スタンドアップ パドルボーティング≫
海を見ると、さすがサーファーの聖地と言われる湘南エリアだけあり「スタンドアップ パドルボーティング」なるサーフボードの上に立ち、オールで漕ぐスポーツに興じている人々がおりました。
≪車で来た場合≫
「江の島」島内にある駐車場は、通常1時間310円、2時間620円、以後30分毎に200円の当日最大1540円と設定されております。 しかし、繁忙期の7月、8月に訪れると、最初の2時間820円、以降30分毎に280円が加算され、当日最大2060円となっておりますので、月によって金額が違う事に御注意ください。
また、「江の島」内に置かれる駐車場は、約600台程しか駐車出来ませんので、繁忙期の7月、8月に訪れると入れない可能性もありますので、朝早くに訪れる事がおススメします。
▼江の島とは!?
「江の島」は、周囲4kmほどの小さな陸繋島で、今では観光メインの参拝客が殆どの景勝地となっております。 では、簡単に「江の島」の成り立ちを歴史を調べてみました。 この「江の島」の縁起を記載した「「江嶋縁起」には、欽明天皇十三年(552年)に海底より噴出した砂により21日で島が出来たと記載されておりますが、島内からは紀元前1000年以上前のものと思われる縄文時代の遺構・遺物が見つかっており、それよりも遥か昔から人との関わりがある島である事が分かっております。
「江の島」がいつ頃から信仰の場となったか不明ですが、飛鳥時代の文武天皇四年(700年)に呪術者で修験道の開祖と云われる「役小角(えんのおづの)」が島内にある岩屋に参籠したと伝わります。 それ以来、「江の島」は聖域として扱われるようになり、信仰・修行の場として国内において知られるようになりました。 それから100年を過ぎた弘仁五年(814年)には、空海(弘法大師)が岩屋に参拝し社殿を創建し、国土守護と万民救済を祈願したと云われております。 空海が作った社殿は、その後に神仏習合により「金亀山与願寺(よがんじ)」となりました。
その後には、「円仁(慈覚大師)」が「岩屋」に籠り修行をしていると弁才天よりお告げを受け「中津宮」の社殿を創建したと云われます。 また、鎌倉幕府が成立するかどうかの寿永元年(1182年)には、源頼朝の祈願により弁才天を勧請し、さらに3年後の文治元年(1185年)には、頼朝によって「奥津宮」に鳥居を奉納したと伝わります。
建永元年(1206年)に、将軍・源実朝によって「辺津宮」が創建されました。 また、鎌倉時代の名僧「一遍(いっぺん)」が鎌倉入りを拒まれた為、「江の島」に参籠したとも伝わります。 以来、室町時代、戦国時代通して近隣を納める武将、大名より崇敬され保護されてきました。 江戸時代に入ると、名目は参拝ながら、観光地として江戸から多くの庶民が訪れ賑わったと伝わり、参拝者の為の宿坊が門前には建ち並び今日に見られる「表参道」の原型が出来上がりました。 この時に出来た「岩本院」と云われる宿坊は、今は「岩本楼」という名前の旅館となっております。 現在では、観光開発に力を入れ鎌倉・湘南エリアでも代表する一大観光地となっております。
▼表参道
≪青銅の鳥居≫
市指定文化財に指定される延享四年(1747年)に建てられた「青銅の鳥居」は、文政四年(1821年)に改修され現在に至ります。 入って直ぐのこの鳥居の写真を撮ろうといきなり立ち止まる輩が多いので要注意です。
鳥居をくぐると両側には、御土産屋さんや、海産物などの名物を扱う飲食店、旅館が立ち並んでおり活気があります。 ここが江戸時代に宿坊として整備された場所です。
▼朱塗りの大鳥居
表参道を登りきると突き当りに昭和十一年(1936年)に建てられた「朱塗りの大鳥居」があります。 ここでも、 鳥居の写真を撮ろうといきなり立ち止まる輩が多いので要注意です。
≪江の島エスカー≫
「朱塗りの大鳥居」の横には、『江の島エスカー』乗り場があります。
『江の島エスカー』は、3部構成で作られており、1部は「大鳥居-辺津宮」、2部は「辺津宮-中津宮」、3部は「中津宮-江の島サムエル・コッキング苑」を結ぶ全長約100㍍のエスカレーターです。 たった100㍍余りを結ぶエスカレータである為、「詐欺エスカー」とも揶揄されますが、足が不自由な方には便利なものです。 ちなみに「江の島エスカー」は、昭和三十四年に江の島鎌倉観光によって建設された日本初の野外エスカレーターなんです。 あと、下りのエスカレーターは無いので自力で降りないといけません。
≪男坂≫
エスカーを使わない私は、石段を上ります。 この、石段はかなりきつい階段坂の為、「男坂」と呼ばれておりますが、実際登ってみるとたいしたことは有りませんでした。
▼瑞心門
TV等にもよく出てくるヘンテコなこの門は、昭和六十一年(1986年)に龍宮城を模して建てられた神門です。 私は、上手く撮れませんでしたが、内部の天井には色彩鮮やかな絵が描かれております。 個人的には、何故ココにこのデザインの門を持ってきたかが気になります。
▼弁財天像
石段を登ってすぐにある「弁財天像」です。
江島神社鎮座1450年を記念して平成十四年(2002年)に建てられました。
▼江島神社-辺津宮
石段を進み最初にある「辺津宮」へ参拝します。
良真上人の請願により建永元年(1206年)に源実朝 が田寸津比売命(たぎつひめのみこと)を勧進して建てられた「辺津宮」は、建てられた当初は、「下之宮」と呼ばれておりました。
≪辺津宮-本殿≫
現在観る社殿は、昭和51年(1976年)に新築された社殿ですが、約800年前からこの地に鎮座しました。 今では見当たりませんが、かつては三重塔等もあったそうです。
≪奉安殿(弁天堂)≫
昭和四十五年(1970年)に建てられた八角の御堂です。 中に入るには別途参拝料が必要となります。 「弁天堂」内は、弁才天の拝殿を兼ねて江島神社の宝物を収蔵・展示しております。
奉安殿には、八臂弁財天が祀られております。 奥州に一大勢力を誇った藤原秀衡調伏祈願の為に、源頼朝が文覚上人に命じて造らせたと云われる弁財天像です。 調伏祈願が成就したのか、後に頼朝は全国から動員した御家人共を従え奥州藤原氏を打ち滅ぼしました。 鎌倉時代初期の作となっております。
※写真撮影禁止の為、写真はなしです。
▼銭洗白龍王
なんとなく怪しげなモニュメントにも思える「銭洗白龍王」です。 この「辺津宮」の脇から湧く湧水は、水源に黄金の小判が隠されていると云われており、その言伝えから「黄金浄水」と呼ばれております。
この水で銭を洗うと御利益があると云われておりますが、最近に客集めの為に行われだしたという人が多いです。
▼八坂神社
御祭神に「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」を祀る「八坂神社」は、2001年に改築されたものです。 この地に何時頃置かれたかは不明ですが、江戸時代には既にあった事が分かっております。
中津宮に向かう
辺津宮周辺の参拝と見学後、「中津宮」方面に歩いてきます。
タイワンリス
途中、電線の上に野生化した外来種のリス「タイワンリス」を発見!! 江の島で観れると聞いてましたが、まさか本当に観れるとは驚きました!!
▼花の広場
この「花の広場」と呼ばれる場所は、元は「金亀楼」という旅館があった場所です。 この旅館の建物は何やら景観上問題視されていたそうですが、今は石塔を残し1999年に撤去され「花の広場」となりました。
まだまだ肌寒い春初旬ですが、「江の島」は内地により温かいのか?桜が見事に満開になっておりました。
ここの展望台からは湘南港、七里ヶ浜方面を観る事が出来ます。
▼江島神社-中津宮
この「江島神社-中津宮」は、仁寿三年(853年)に僧「円仁(慈覚大師)」が「岩屋(旧:龍窟)」に籠り修行をしている時に、弁財天よりお告げを受け「市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)」を祀る為に建立したと云われます。 以来、天文十八年(1549年)には、北条氏綱によって再建され、元禄二年(1689年)にも再建される等、幾度も修復・再建されてきております。 現在のものは、平成八年年(1996年)に修復されたもので、その際に天井には、極彩色をもって花鳥画が施され、雅な趣の社殿となりました。
≪恋愛成就の御利益≫
江の島の至る所には、恋愛成就が祈願出来るスポットがあり、ここ「中津宮」にも恋愛を祈願する多くの絵馬が掛けられた場所がありました。 「江の島」で祈願し、成就するとデートとして「江の島」に御礼参りに参るというコースも素敵ですね。
「中津宮」への参拝後、次に順路を進み「奥津宮」へ向かいます。 「江の島」は、小さな島にいくつもの施設や建物がある為、写真の様に狭い路地裏の様な道を進みます。 ワクワクしますね。
▼亀ヶ岡広場
江の島の頂上付近にある、「亀ヶ岡広場」に出てきました。 この開けた場所では「たこせんべい」が人気の『あさひ』という煎餅屋さんに行列が出来ておりました。 ココで「たこせんべい」を買って展望台に向かう観光客が多いです。
≪亀ヶ岡広場-展望台≫
この展望台から、江の島から望むパノラマビューを楽しむことができます! でも、たこせんべいを持って訪れる場合は、トンビに注意してください! 食べ物を取られるだけでなく、トンビの爪で負傷させられる方も多いそうです。
この日は、そらが曇っていたのでしっかり見えませんでしたが、天気のいい日には素晴らしい絶景を観る事が出来ます。
▼サムエル・コッキング苑
亀ヶ岡広場を抜け、更に進むと2003年にオープンした「江の島サムエル・コッキング苑」があります。 ここは、東山頂上部一帯にあった旧「江の島植物園」をリニューアルした藤沢市立の植物公園となっております。
≪サムエル・コッキングとは!?≫
江戸時代を終えたばかりの明治二年(1869年)に来日したアイルランド人貿易商で、外国人居留地から10里内にあったこの地に別荘と庭園の造営を行った人物です。 コッキングは、本格的なボイラーを持つ大型温室を作り、そこで沢山の熱帯植物を収集栽培しました。 コッキングの没後には関東大震災等もあり荒廃しましたが、その後もいくつかの熱帯植物は繁殖・成長し続けております。 現在では、外来種の駆除対象にもなりそうですが、昭和四十六年(1971年)には、そのうち四種類が藤沢市天然記念物に指定されております。
入園してみようか悩みましたが、徐々に空に雲が出てきたので今回はスルーします。 ちなみに、入園する場合、大人1名 200円 / 小人1名 100円が必要となります。
「サムエル・コッキング苑」を通り過ぎ、島の奥地にある「奥津宮」へ向かいます。
▼江の島大師
先述の通り「江の島」には、空海が参拝し社殿を創建したと伝えられている神仏習合の「金亀山与願寺」がありましたが、明治時代に入り行われた廃仏毀釈や神仏分離令により、与願寺の神道部分は江島神社となって存続する一方で、寺は廃されてしまいました。 ここにある「江の島大師」は、平成に入り廃業した旅館「江の島館」跡地に、鹿児島にある最福寺の関東別院として創建されました。
私は、上記の様な事情を調べずに寺内に入った為、直ぐに「胡散臭っ!」と思いました。 台湾でも似たような寺院があった為、ボッタくりに合いそうな予感がしましたが、入ってみるとちゃんとした寺院である事がわかり、安心しました。
こちらの寺院には、高さが6㍍もある巨大な不動明王像が本尊として祀られており、一見の価値がありました。
「江の島大師」を通り過ぎ、島の奥地にある「奥津宮」へ向かいます。
▼一遍上人の島井戸
江の島の至る所に、古い石碑が置かれております。 全てを観ていると時間がいくらあっても足りないですが、見ておきたい一つがコレです。 江の島に訪れた一遍が飲料水に窮する島民を助けるために掘り当てたと云われており、それを称える石碑です。 ちなみに、その井戸は現在も枯れてないそうです。
▼山ふたつ眺め舞台
▼群猿奉賽像庚申塔
これも見ておきたい石碑「群猿奉賽像庚申塔(ぐんえんほうさいぞうこうしんとう)」です。 江戸時代後期頃に、無病息災を祈念して建立されたと云われており、通常の「庚申塔」とは違い、四面に36匹猿が浮き彫りされております。
▼江島神社-奥津宮
≪伝頼朝寄進の鳥居≫
この鳥居は、文治元年(1185年)に源頼朝が寄進したと云われております。 古い物の為、、これまでに幾度か破損しており、文政十年(1827年)と平成十六年(2004年)に修復されております。 傍らには文政十年に修復した際に建てられた記念碑もあります。
≪手水舎≫
この「手水舎」は、どこぞのお偉い御大臣様が奉納したものではなく、信心深い個人の参拝者が奉納されたものです。
≪奥津宮-拝殿≫
昭和後代に改築された「拝殿」の天井には、「八方睨みの亀」と題される亀の絵が掲げられております。
現在見る事が出来る物は平成に入り復元された絵ですが、元々は、享和三年に(1803年)画家である酒井抱一が描いた「八方睨みの亀」が掲げられておりました。
≪奥津宮-本殿≫
「本宮」または「御旅所(おたびしょ)」と云われていた『奥津宮-本殿』は、御祭神に「多紀理毘売命(たぎりひめのみこと)」を祀られております。 古くは壮麗な本殿として知られておりましたが、天保十二年(1841年)の火災で焼失してしまい、翌年に再建されたものが今日の本殿となっております。
≪亀石≫
飛鳥遺跡にも同様にあった石をスケールダウンした小ぶりな「亀石」が端に祀られておりました。 この「亀石」は、玄武岩の断面を磨く事によって現れる亀甲模様を活かしたものです。
玄武岩はこの地に無い為、誰かが何らかの理由により運んできた物と思われますが、誰が何時、どの様にして持ってきたか不明です。
≪力石≫
江戸時代に日本一の力持ちと云われた「卯之助(岩槻藩)」が奉納したと云われる、重さ八十貫(320k)の石です。 この石を見ると「亀石」同様に、「だから何の為!?」と言いたくなります。
≪龍宮大神≫
「奥津宮」の横にさらになにやら鳥居が見えます。
奥津宮を参拝後に道順にそって進むと、すぐに表れる岩窟の上に陣取り睨みを利かせる龍神像は、「龍宮大神(わだつみのみや)」といい、平成入り篤志家によって建立されたものです。 これも私の調べが足りない為か、何故建立されたかが不明です。
個人的な趣味ですが、あまりこういう色物の神社は好きじゃないです。
▼稚児ヶ淵
「奥津宮」への参拝後、最後に島の突き当たりにある「稚児ヶ淵」を目指します。
石段を下りて進みますが、下から戻ってくる他の観光客が悉く息を切らしていたので、よっぽどキツイのかな?と不安になりましたが、実際行ってみると、進むのも戻るのも大したことはありませんでしたので、ご安心ください。
≪岩屋へは立ち入り禁止に!!≫
「江の島」の目玉スポット『岩屋』は、現在立ち入り禁止になっておりました。 以前に崩落によって十数年立ち入り禁止になっていたそうですが、今もまたなっておりました。
江の島の境内を順番に回って行くと突き当りの海際にある『稚児ヶ淵』に到着します。 幅50mほどの隆起海食台で、満潮時には海に沈む箇所が多いエリアです。 巨大な一枚岩の様な大地の所々に見えるタイドプールには、小さなエビや小魚を観る事が出来ました。 ここは、磯釣りをされる方には知られたスポットだそうで、この日も数名の方々が観光客とは明らかに違う釣りルックで興じられてました。
ここからは、空が澄んだ日だと富士山まで一望でき、他にも大島、伊豆半島も見る事が出来ます。
昔のパンフレットで観た、岩谷をめぐるルートが見えます。 本来であれば、ココを通って古代の聖人達が修行した場所が見れたはずなのに残念です。
≪岩屋へは立ち入り禁止の理由が!!≫
稚児ヶ淵を歩いていると、岩屋へは立ち入り禁止の理由が分かりました!!階段が崩落しております!! 海に近い場所にある為、コンクリートが劣化してしまったのか、完全に崩壊しております。 これは、巻き込まれれば死んじゃいますね。
≪帰路≫
帰る時間には、辺りは薄暗くなってきており、逆に良い雰囲気になっておりました。
▼児玉神社
帰る寸前に、「児玉神社」の存在に気付きました。 あたりは既に完全に暗くなっておりカメラの性能を信じ撮影を続行する事になりました。
写真では、若干明るく見えますが実際に現地では、真っ暗なので足元が怖い中進みます。
非常に分かり辛いですが、この「児玉神社」は、明治時代の軍人で、日露戦争海戦で活躍した「児玉源太郎」大将を祀る神社です。
▼さいごに
以上で、「江の島」の御案内となります。 何気なく訪れる観光地ですが、調べてみると奥深い歴史を刻んだ場所である事が分かりました。 皆様も、古代の人々の足跡を辿りに訪れてみては如何でしょうか。 御精読有難うございました。
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やろうかなぁ?やめとこうかなぁ??と悩んだら ”犯罪や人に迷惑をかける事以外、全力でやってみて下さい。”の恩師の言葉を、元にとりあえず何でもやってみる、趣味は、旅行・骨董品収集のいくちゃと申します。(最近は、ドローンも楽しいです。)
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