江戸時代から濡れ続けているミステリースポット『弘法寺』へ潜入調査!
千葉県市川市にある日蓮宗の本山『真間山弘法寺(ぐほうじ)』にやってきました!! この寺院は、石段の一つの石が何故か濡れ続けているという不思議な「涙石」がテレビや雑誌で、取り上げられる為、ミステリースポットとして知っている人はいても、『弘法寺』自体は知らない人が多いと思われます。 しかし、この寺院は奈良時代創建の古刹で、行基、空海、日蓮という日本仏教界のトップスターに纏わる凄い場所です。 現在にも、境内へ訪れるとその面影を残し非常に立派な山門、本堂、鐘楼堂が揃う素晴らしい寺院となっております。 どの様な寺院なのか歴史と共にみてみたいと思います。
▼不思議な「涙石」で有名
「弘法寺」の山門へと続く長い石段の27段目には、『涙石』と云われる不思議な石段があります。 他の石段は、雨の日等で無い限り全て乾いていますが、この石段だけが年がら年中涙を流すかのように濡れ続けております。
伝承によると、日光東照宮の造営の為に伊豆の石材を作事奉行・鈴木長頼が船で運んでおりましたが、市川付近でその船が動かなくなってしまい、無断で近くにあった「弘法寺」の石段に使ってしまいました。 しかし、それが幕府にバレてしまい責任を取る為に石段で切腹したそうです。 それ以来、鈴木長頼の無念の血と涙が染み出していると云われております。
この石段がTVで検証された時には、工業用ドライヤーで乾かしても翌日には元に戻っておりました。 石の学者によると、一見同じ石段に見えるも、採石した岩石の部位により水の染み込みやすさが異なるそうです。 その為、この石が染み込みやすい部位であり、また偶然に水脈に触れてしまっているのでは無いか?と言われておりました。
この「涙石」自体には、表札等が無いので、「あっ、これが濡れ続けている石なんだ」程度で観光は終わっちゃいます。 TVが凄くのは、ただそれだけの石を30分かけて放送できる所です。 なので、見学後石段を更に進みます。
▼約1300年の歴史を持つ「弘法寺」とは!?
奈良時代の僧「行基」が、この地を訪れた際に哀話「真間の手児奈」の話を聞き、天平九年(737年)に、その霊を供養する為に「求法寺(ぐほうじ)」として一宇を建立した事に始まります。 そして、建立から約100年程経った平安時代の弘仁十三年(822年)に訪れた空海(弘法大師)によって、伽羅を構え『弘法寺(ぐほうじ)』と改称したと言います。 それから約60年後の元慶五年(881年)に天台宗に改宗します。 天台宗として約400年を経た鎌倉時代の建治一年(1275年)に日蓮による布教を受け、時の住持「了性法印」が、日蓮の弟子である法華経寺「富木常忍」と問答を行います。 後世に「真間問答」と云われるこの問答に敗れた事により、約400年続いた天台宗から日蓮宗へと改宗し「富木常忍」の子である「日頂」を初代の貫主へと変わりました。 この後には、日蓮の真刻と伝える大黒天を祀る大黒堂も建立されました。 以来、地元の有力武家である「千葉胤貞」より寺領の寄進を受ける等、寺勢を拡大し、室町時代には真間宿または市川両宿といわれる門前町が発展しました。 また、室町時代後期の武将太田道灌より長禄一年(1457年)に茶室を寄進されました。
徳川の時代になってからは、徳川家康より朱印地30石を与えられ、徳川光圀が来訪した時には茶室に「遍覧亭」という号を贈られます。 また、庶民にも紅葉の名所として知られ賑ったと伝わります。 そんな古刹ですが、明治時代に入った明治二十一年(1888年)の火災により古くからあった諸堂が焼失してしまいます。 しかし、他の小さな寺院であれば復興に数十年を要すところですが、驚くべき速さの2年後の明治二十三年(1890年)に諸堂が再建され今日に至ります。
▼仁王門
石段を上ると立派な仁王門が建立されておりました。 この仁王門に掛けられる扁額は「空海(弘法大師)」による筆と云われております。
≪吽形≫
山門に祀られる仁王像は、運慶作と伝えられております。
≪阿形≫
▼境内
山門をくぐると新しく作られた事が分かる「祖師堂」が正面にあります。
▼祖師堂
一見すると配置的に本堂の様にも思えますが、平成二十二年に建立された宗祖「日蓮聖人」、開基「日頂聖人」、第二祖「富木日常聖人」を祀る御堂です。
▼伏姫桜
祖師堂横にある「しだれ桜」は樹齢400年の大樹となっており、春には美しい花を咲かせます。 また、境内には約3000本の桜の木が植わっており、多くの参拝客が花見に訪れます。
▼本殿
祖師堂の左手にある一見「本殿」かどうか分かり辛いですが、この「本殿」には「日蓮聖人」の御遺文「真間釈迦仏御供養逐状(おいじょう)」と「四菩薩造立鈔」にも示されてる、「一尊四士霊像」が安置されております。
▼客殿
平成九年建立された「客殿」は、「祖師堂」と「本殿」をつなぐ建物で、私の見立てでは社務所の様な役割をしていると思われます。 ここで、お守りや御朱印を頂く事が出来ます。
▼赤門
「真間道場」、「大黒堂」、「里見龍神堂」の入口にある「赤門」と言われるこの門は、正式には「朱雀門(すざくもん)」と云われます。 『弘法寺』境内にある諸堂の中で、現存する最も古い建造物で約500年程だと云われております。
≪真間道場≫
赤門を入って正面に見えるのは旧社務所として使われていた「真間道場」があります。
▼里見龍神堂
「里見龍神堂(さとみりゅうじんどう)」は、昭和に起きた霊験から作られた「里見龍神」を祀る御堂です。 当初は、この霊験を訝しんだと云われており、近代にそういう事象が起きるとやはり、胡散臭く思われるという事が分かり面白いです。
▼大黒堂
大黒堂には、日蓮の真刻と伝える大黒天が祀られております。
▼鐘楼堂
明治の火災の際に「仁王門」と共に焼失しなかった「鐘楼堂」です。 なので、江戸時代の頃と思われますが、建造年は不明です。
▼濃縁観世音菩薩
境内の端「鐘楼堂」の麓に安置される「濃縁観世音菩薩」は、良縁を開く縁起を招く観音様です。
▼松平直基の墓標
境内の一部が墓地となっている「弘法寺」の端には徳川家康の次男で越前福井藩主・松平秀康の子である「松平直基」と、その夫人、母の3基の墓標が安置されております。 将棋の駒の様な形をした巨大な墓標である為、探すと直ぐに見つかります。 他の墓標とは違い、一角を石造の作と扉で守られており、徳川の世には大事にされて来たことが分かります。
無縁仏
「弘法寺」は非常に古い古刹である為、境内の墓所の一角に安置される「無縁仏」も江戸時代初期の頃の古い墓標等も置かれており非常に興味深く思えました。
▼真間という地名
「真間(まま)」とは、崖を指すこの地方で使われていた古い方言です。 今では埋立てが進み、内陸部にに置かれる「弘法寺」ですが、古くは崖の上に造られた寺院で、麓は海岸となっておりました。
▼さいごに
以上で、市川市真間に伝わる美女伝説の地『弘法寺』の御案内となります。 1300年の歴史を持つ古刹ですが、今では地元の方以外では殆ど知られていない寺院ですが、寺院周辺にも深い歴史が刻まれた地になっておりました。 皆様も訪れてみては如何でしょうか。 御精読有難うございました。
▼情報
山号:真間山
宗派:日蓮宗
寺格:本山(由緒寺院)
本尊:三宝尊
創建:737年(天平九年)
開基:行基
▼アクセス
住所:千葉県市川市真間四丁目9番1号
電車:東日本旅客鉄道総武本線市川駅から徒歩15分。
:京成電鉄京成本線国府台駅から徒歩10分。
:京成電鉄京成本線市川真間駅から徒歩10分。
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