千円札の人「野口英世」が手術した病院跡『会津壹番館』へ潜入調査!!

会津壹番館

千円札肖像に描かれる偉人野口英世」に縁ある、福島県会津若松市の『会津壹番館』へやってきました!! この建物は、1階が『会津壹番館』という名のレトロ喫茶店になっており、2階野口英世に纏わる資料館・「野口英世青春館」となっております。 ここは、元々「会陽医院」という病院で、野口英世乳幼児の頃に囲炉裏火傷を負って以来、不自由になってしまっていた「」の治療が行われた事で有名な病院でした。 野口英世は自分の手を治療した医学というものに感動し、医学へのを志したと伝わります。 その後、医学へのへとすすんだ野口英世は、この病院書生となり「会陽医院」の2階で寝泊まりし青春時代を過ごしたと伝わっており、貴重な記念館となってます。




▼会津壹番館とは!?

会津壹番館とは!?

1階レトロな喫茶店『会津壹番館』は、自家焙煎コーヒーと手作りケーキが人気のお店になっております。

会津壹番館

日本を代表する偉人「野口英世」の足跡を辿りながら飲むコーヒーには自然と深みが足され贅沢です。 彼が青春時代に過ごした風景を見ながらゆっくりと時間の流れを楽しみました。

会津壹番館

カップに描かれた野口英世も可愛いです。




▼野口英世とは!?

野口英世とは!?

コーヒーの後、2階野口英世資料館・「野口英世青春館」に上がってきました。

野口英世は、明治時代福島県に生まれた日本代表する医師・細菌学者として知られる偉人です。 左手障害を持ちながらも苦学の末、猛勉強し、医師となり、基礎医学研究者へと進み、日本だけでなく、清国アメリカデンマークエクアドルジャマイカなどの国々でも活躍し、それまで難病とされてきた「梅毒」や「黄熱病」の研究を行い、多数の論文を発表しノーベル医学賞に何度もノミネートされました。 しかし、自らも研究していた「黄熱病」に罹患し、くなりなります。  人々を苦しめる病気に恐れず立ち向かった野口英世は、日本人からだけでなく世界からも尊敬される人物です。

▼野口英世の生涯

野口英世の生涯

野口英世」は、明治九年(1876年)に福島県・野口佐代助シカの長男として生まれ、清作(せいさく)と名付けられました。 英世は、生まれた当初は五体満足でしたが、乳児の頃に両親の不注意の結果、囲炉裏左手に大火傷を負ってしまい、満足な治療を受けれなかった事と重なり手の皮が癒着し動かなくなりました。 以降障害を持った左手に苦悩して行く事となります。 そんな英世に訪れた一度目の転機は、小学校へ入った時に、シカより障害を持った左手では農家としてやっていくのは難しい為、将来は学問で生計を立てる様に諭された事です。 それに応える様に勉学に励んだ英世は学校で成績優秀となりました。 そして、2度目の転機となる、生涯の恩師となる高等小学校の教頭である「小林栄」出会い、優秀な成績を認められ、当時の農家は進まなかった高等小学校入学した事です。 ここでも勉学に励んだ英世は、明治二十五年(1892年)に授業で発表した左手の障害を嘆く作文に教師や同級生らから同情を受け、左手の手術費用を集める募金が行われました。 そして、この集まった手術用に集まった募金のおかげで、生涯最大の転機が訪れます。 アメリカ帰りの医師・渡部鼎が会津若松で開院していた「会陽医院」で、手術を受けた事です。 この手術の結果、不自由ながらも動く様になった左手に感動し医学を志すようになりました。

医学を志した英世は、高等小学校を卒業後に医師・渡部鼎の病院「会陽医院」に書生として住み込みで働き、約4年近くにわたって医学の基礎を学びます。 ここ「旧・会陽医院」は、そんな英世青春時代を過ごした場所で、この場所で勉強に、仕事に、に励んだと今に伝わります。

その後の英世東京へと舞台を移し、様々な人々に迷惑をかけながらも努力をし、21歳医師免許を取得しました。 しかし、開業資金の問題や、障害を持つ左手を見られたくないとの理由から、臨床医の道を断念し、基礎医学研究者の道に進む事になります。 最初は、国内で伝染病に関する業務に携わり、後に清国(現・中国)に渡ったのを皮切り、舞台を海外に移しアメリカヨーロッパ南米アフリカと活躍し、度々「ノーベル医学賞」にも三度ノミネートされております。 しかし、黄熱病研究中に自身も罹患し、昭和三年(1928年)に、英領ゴールド・コースト(現・ガーナ共和国)で51歳で死去アメリカのニューヨークのウッドローン墓地に埋葬されました。




▼「清作」から、「英世」に改名

「清作」から、「英世」に改名

22歳の時に名前を「清作」から、「英世」に改名しております。 この理由は、我々が知る偉人「野口英世」は、後代にそのするように作られた人物像で、実際は金に無頓着で、無類の酒好き無類の女好きの為に勉学用恩師達から借金した大金放蕩する様な人物でした。 しかし、当時流行してた坪内逍遥の小説「当世書生気質」を知人に勧められ読んでみると、借金を重ねる自堕落な登場人物「野々口精作」に、自分の名前がている事から、自らの行いと重ねて自身モデルと思われたくないとの思いから改名したと伝わります。 ただし、改名後にも放蕩が治らず、結婚詐欺までして一人の女性を不幸にしながらでもお金を捻出したといい、プライベート面では全く尊敬出来ない人物であったと伝わります。




▼さいごに

会津壹番館

以上で、『会津壹番館』の御案内となります。 今から100年程前に居た偉人の足跡を辿れる貴重な喫茶室になっております。 コーヒーを飲みに気軽に訪れてみては如何でしょうか。 御精読有難うございました。

▼アクセス

住所:福島県会津若松市中町4-18

TEL:0242-27-3750 FAX:0242-26-4579

営業時間:8:00~20:00