静岡県にある日本新三景のひとつ世界遺産『三保の松原』へ潜入調査!
静岡県静岡市清水区の三保半島にある景勝地『三保の松原』にやってきました! 昔から日本を代表する景勝地として有名な場所ですが、2013年にユネスコの世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に登録された事で、益々の多くの観光客が訪れる場所となっております。
「三保の松原」への入り口には御土産さんが並んでおり、一大観光地になっております。
私が訪れた本日は、偶然ですがブラタモリで『三保の松原』が放送された日で、多くの観光客がこの看板の前で記念撮影しておりました。 ブラタモリの影響の為か「いつもより多くの観光客が来ている」と御土産屋さんの店主が嬉しそうに話してくれました。
▼『三保の松原』とは!?
「三保の松原(みほのまつばら)」は、総延長7kmの浜に約3万本の松が生い茂る松林と、駿河湾を挟んで望む富士山の美しい眺望が有名な日本を代表する国の名勝に指定されている景勝地です。 その美しさから日本新三景のひとつになっております。 美しい砂浜は、三保半島にある安倍川から海へと流された土砂が波に運ばれ数百年の歳月を持って形成されたものですが、近年の開発によって海に流入する土砂の量が激減した為、保全活動が無ければ消滅してしまう定めにある大切な景勝地です。
▼世界文化遺産
ここ「三保の松原」は、ユネスコの世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成遺産のひとつに登録されております。 たしかに、富士山は美しく見えますが、富士山から50km近く離れており、登録勧告では除外するように勧告されていたそうです。 登録はこの浜だけでなく、この辺り一帯の「神の道」等も含めて登録されております。
「三保の松原」に生える松は、海風が強い為か、殆どの木々が写真の様に折れ曲がっております。 折れ曲がった事により良い風景にもなっておりますが、実用面でも松に腰掛ける事も出来一石二鳥の効能を発揮してました。
※腰掛けて良いのかはわかりません。
▼羽衣伝説とは!?
「羽衣伝説」は、「三保の松原」が有名ですが、日本各地に存在する伝説で、文献に残る古いものでは滋賀県長浜市の余呉湖を舞台としたものであったり、京都府京丹後市峰山町を舞台としたものが有ります。 各地の「羽衣伝説」は美しい天女が舞い降りるという起点は同じですが、後半にかけてストーリが変わります。 ここ「三保の松原」に伝わる「羽衣伝説」を御案内します。
≪三保松原の羽衣伝説≫
ここ三保の地に「白龍(はくりょう)」という名の漁師が住んでおりました。 白龍は、その日も朝から三保の松原で釣をしておりました。 いつも釣りをしている見慣れた風景ですが、海原に浮かぶ春の富士はとりわけ美しく見えました。 すると、どこからともなく良い香りがしてきました。 香りに導かれて向ってみると一本の松に見たこともない美しい衣が掛かって風に揺れていました。 白龍は、「何て美しいのだろうか、持ち帰って我が家の家宝にしよう。」そういって衣を抱え家に持ち帰ろうとします。 すると、木の陰にたった美しい女性が「それは私の着物です。」と言ってきました。 その女性は続けて「私は天女です。その衣は「羽衣」といってあなた方には御用の無い物です。 どうぞ返して下さい。それがないと天に帰れません。」と言います。白龍は驚き、羽衣を返す事にしました。 白龍は「お返し致しますが、代わりに天人の舞を見せて下さい。」と言うと、天女は「わかりました」と承諾し、こう述べました「羽衣がないと舞えません。まず羽衣を返して下さい。」 白龍は思いました。 羽衣を返せば舞わずに逃げ去ってしまうのではないかと。 すると天女は、「嘘や偽りは下界のことで天上の世界にはございません。」 この言葉に白龍は恥ずかしくなりました。 天女は、羽衣を纏うと、約束通り舞いを舞いはじめました。 すると、どこからともなく笛や太鼓の音が聞こえだし、よい香りが辺りを包みます。 白龍が呆然と見とれているうちに天女は天へと上り霞に消えていきました。
▼三代目「羽衣の松」って何!?
「羽衣伝説」で天女が羽衣をかけたとされる「羽衣の松」は、松林の中に柵に囲まれ立っております。 もっと古い老木を想像してましたが、柵に囲まれていなければ松林の中では素人目には全く分からない普通の松の木です。 しかし、それもその筈で、今見る事が出来る「羽衣の松」は3代目との事です。 「羽衣の松」の歴史を見てみると、天女が羽衣をかけたとされる初代の「羽衣の松」は、江戸時代の宝永四年(1707年)の富士山の噴火「宝永大噴火」の際に海に沈んだと云われております。 そして、その後に選定された樹齢650年の二代目「羽衣の松」は立ち枯れしてしまい危険なので2013年に約3mの幹を残して伐採されました。 そして、2代目伐採より3年前の2010年に、近くにあった別の松を三代目の「羽衣の松」として、認定したそうです。 つまり、天女とは全く関係の無い松で、天女がこれを見ても「懐かしー」とはならないですね。 だって全く無関係の別の松ですから。 でも、何故3代目を選定されたかと言うと「羽衣の松」は御穂神社の御神体となっており、祭神の三穂津彦命(大国主命)・三穂津姫命が降臨する際の依り代とされているからです。 つまり、観光用に必要という訳では無く、宗教として必要だからなんです。 観光資源としては、その恩恵を頂いているだけなんです。
▼世界に知られる景勝地
日本を代表する浮世絵師である江戸時代の画家・歌川広重が『六十余州名所図会』の「駿河 三保のまつ原」等に描いた為、後代に世界における「浮世絵」の流行に乗り、「三保の松原」から見た富士の風景は世界的に知られる事になりました。 一世代前の外国人に日本の風物に関して聞くと「スシ」、「ゲイシャ」、「サムライ」、そして「Mt.フジ」と答える人が多かったでのですが、これは日本のカルチャーを紹介さする際に歌川広重の「浮世絵」が使用される事が多かった為、ここが日本を代表する風物となして認知されたからです。
▼景勝地としての歴史
日本最古の和歌集『万葉集』に「廬原乃 浄見乃埼乃 見穂之浦乃 寛見乍 物念毛奈信」と読まれている事から、平安時代には既に景勝地として知られていた事が分かります。 当然、古代より続く風景の為、いつ頃からココが景勝地として認識されたかは不明です。
※「見穂之浦」の箇所が 三保の浦を指しております。
▼羽車神社
浜辺に置かれた「羽車磯田社」は、御穂神社の離宮です。 場所柄多くの観光客が参拝しております。
▼エレーヌの碑
砂浜の端に「エレーヌの碑」が置かれております。 これは、フランスのダンサーである『エレーヌ・ジュグラリス』が、ダンス研究をしている中、日本の「能」で演じられる「羽衣伝説」を知り、その「羽衣伝説」を元に「羽衣」と題した作品を発表します。 その後、 三保の松原を訪れることも希望していたが、病気により35歳の若さで亡くなってしまいます。 亡くなる前の遺言に「髪の毛と衣装を三保の松原に置いてほしい」と残した為、夫は願いを叶えるべく来日します。 この話に感動した地元住民によって昭和二十七年(1952年)に「エレーヌの碑」を作り設置されました。
▼神の道
「御穂神社」から「羽衣の松」までを結ぶこの道は、「神の道」と言われております。 道の両側には樹齢300年程の老松の並木が500m近く続く、不思議な道になっております。 「三保の松原」観光後には、この「神の道」を通り「御穂神社」へ参拝した方が楽しいです。
※ちなみに、行事として毎年2月14日の深夜にこの道を通って神を天からお迎えする神事が行われております。
▼さいごに
以上で、「三保の松原」の御案内となります! 日本人なら一生に一度は観ておきたい風景を観に来ては如何でしょうか。 御精読有難うございました。
▼アクセス
住所:静岡県静岡市清水区三保
電車:「清水駅」より、しずてつジャストライン三保線に乗車、「世界遺産三保松原 神の道入口」下車、徒歩約15分
車 :静岡県道199号三保駒越線「羽衣の松入口」交差点右折、約5分
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