古代から続く伊豆の№1パワースポット『三嶋大社』の魅力とは!?
静岡県三島市のパワースポットとしても知られる『三嶋大社(みしまたいしゃ)』にやってきました!! 三嶋大社は、主祭神に伊豆諸島の開拓神である「積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)」と「大山祇命(おおやまつみのみこと)」を祀る伊豆国の一宮として源頼朝始め多くの武家からの崇敬を集めました。 また、三島の地が東海道の宿場町として発達したことにより、庶民にも広まり多くの人々からも篤く信仰された神社です。 源頼朝が平家打倒の志を祈願し、源氏再興という大きな御利益を授けたこの社を御案内致します。
▼三嶋大社の場所
『三嶋大社』は、静岡県三島市の伊豆半島基部に鎮座する大社です。 境内入り口の大鳥居前を東西に旧東海道、南に旧下田街道が通る交通の要所としても栄えた宿場町となっております。 門前にある「鳥居前町」は御土産屋が並んでおり、参拝ついでの歩くのも楽しいです。
▼三嶋大社の「三嶋」とは!?
『三嶋大社』の「三嶋」とは、伊豆大島・三宅島等の伊豆諸島を「御島(みしま)」と尊称をもって指したもの言われております。 三嶋大社は、「天変地異=神の怒り」と考えられていた古代に火を噴き煙を吐く伊豆諸島の噴火を恐れ畏敬をもって祀られた事に始まる神社です。
▼たたり石
鳥居入って直ぐにある『たたり石』は、なんとも恐ろしげな名前ですが、元々は大社前の旧東海道の中央に置かれており、行き交う人々の交通整理をする役割を担っておりました。 この石の「たたり」とは、元々は糸を紡ぐ際にもつれを防ぐ道具の名前のから来ておりますが、「たたり石」が邪魔になった際に取り除こうとした時に災いが度々起きた為、恐ろしい意味合いの「祟り」へと置き換えられたと言われております。 最終的にはやっぱり邪魔だったので、大正三年にこの位置に移動させられたそうです。
▼神池
「吾妻鏡」に記載のある『神池(しんち)』では、源頼朝がこの池で放生会(※捕獲した生き物を野に放ち、殺生を戒める儀式)を行なったと伝わります。
▼騙して掠め取った土地
「三島大社」の境内は広く、調べてみると4.6㌶もあり、坪に換算すると14,057坪だそうです。 この広い土地に纏わる面白い話が有ったのでご紹介すると、「三島大社」が有るこの場所には、元々は地主神の若宮八幡がおられたそうです。 そこに三島神が遷座する事になりました。 三島神は、若宮八幡に藁一把分だけの土地を譲るよう頼みました。 それぐらいならと、若宮八幡が了承すると、三嶋神は藁束を解いて一本ずつ輪にして広大な社地を占有するに至ったそうです。 そして現在の若宮八幡は、「三島大社」の二宮となっております。 まさしく「庇を貸して母屋を取られる」という諺の通りです。 神様間でも酷い事しますね。
▼総門
昭和6年に竣功された『総門』は、昭和を代表する神社建築として知られています。
日本を代表する「三嶋大社」への参拝ですので、しっかりと身を清め参拝します。
▼神門
『神門(しんもん)』は、これから御説明する本殿と同時期にあたる慶応3年(1867年)に再建されました。 江戸時代の様式を残す貴重な文化財として三島市指定文化財に指定されております。
▼舞殿
神門をくぐり、直ぐの拝殿前に建てられている『舞殿(ぶでん)』は、三島市指定文化財に指定されています。 「舞殿」も本殿と同時期の慶応2年(1866年)に再建されております。 ここでは、舞の奉納や各種神事が行われております。
▼三嶋大社本殿、幣殿及び拝殿
『三嶋大社』境内にある主な社殿は、寛永期の江戸幕府3代将軍・徳川家光によって大規模な造営がされたものでしたが、安政元年(1854年)に発生した「安政東海地震」によってほとんどは倒壊してしまいました。 現在ある本殿・幣殿・拝殿等の社殿は、幕末から明治元年(1868年)にかけて徳川家光造営時を踏襲し再建されたものとなっており、江戸時代を代表する建造物として国の重要文化財に指定されております。
▼起源は不明、神様も後付!?
「三嶋大社」は、平安時代初期に編纂された勅撰史書「続日本書紀」の758年の箇所に記載されており、その頃には当地で成立している大きな神社である事が分かります。 しかし、いつ頃に創建されたかは不明です。 これは、元々文字など無い古代より噴火の盛んな伊豆諸島を原始的な「神」として祀られたのが「ミシマ神」の始まりと考えられているからです。 その為、時代を経て大和朝廷の勢力下に入る事で、「ミシマ」の発音から、後世に大和の神へと結び付けられたと考えられております。 現在の三嶋大社の祭神は「事代主神」と「大山祇命」の2柱をもって「三嶋大明神(みしまだいみょうじん)」と称されておりますが、元々が古代の「ミシマ神」に始まり、後付で「大山祇命」、「事代主神」となった為に江戸時代までは祭神が「大山祇命」と考えられていたり、幕末頃には「事代主神」と考えられたりと変遷してきております。
▼源頼朝と三嶋大社
鎌倉幕府初代将軍である源頼朝は、平家との戦に際し三嶋大社へ戦勝祈願と寄進を行ったと「吾妻鏡」等の資料に記載されています。 平家を打ち滅ぼして以降、天下を握った鎌倉幕府は、三嶋大社を鶴岡八幡宮や二所権現(伊豆山神社・箱根神社)と並び信仰し、歴代将軍は『三嶋大社』に参詣したと伝わります。
▼国の天然記念物に指定される金木犀
神門内にある樹齢約1,200年の「金木犀(キンモクセイ)」は国の天然記念物に指定されております。 この樹木は薄黄木犀の雄木で、樹高10㍍以上の巨木です。 私の知るキンモクセイという木は、庭先に有る様な人の背丈程の樹木ばかりだったので、これ程大きな木は初めて見ました! 私は花などに興味など無い無粋な人間ですが、幼少期に住んでいた家の庭に植わっていた為、キンモクセイの花の香りを嗅ぐと幼少期を思い出す事が出来るので、桜と並んで好きな花です。 見頃は9月下旬から10月上旬になるそうなので、この時期に合わせてくるのが良いかと思われます。
▼アクセス
鉄道:伊豆箱根鉄道駿豆線 三島田町駅 (徒歩5分)
:JR東海東海道本線 三島駅 (徒歩10分)
バス:沼津登山東海バスで「大社前」バス停下車
車 :静岡県道22号三島富士線沿い三嶋大社駐車場(有料)
※正月期間、及び毎年8月15日 – 8月17日は閉鎖
▼さいごに
以上で、『三島大社』の御案内となります。 古代から続くミシマ信仰が時代の変遷と共に変化し、今日へと伝わる面白い神社でした。 こちらの参拝後に三島名物の鰻を食べに訪れては如何でしょうか。 御精読有難うございました。
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