奈良県明日香村にある巨石の古代遺跡「石舞台古墳」を徹底解説!!
奈良県明日香村にある古墳時代後期の蘇我馬子の古墳とされる国の特別史跡「石舞台古墳(いしぶたいこふん)」にやってきました!! 日本版ストーンヘンジとも言われる石舞台古墳は、他の古墳の様に盛りあげて作る墳丘箇所が無く巨石が剥き出しの状態で、ぽつんとあります。 石舞台古墳の歴史背景と共に御案内致します!!
▼入場料金
石舞台は管理されており、朝8時から17時まで入場する事が出来ます。 入場料は、大人・大学生:250円/高校生:200円/中学生:150円/小学生:100円と若干割高感は有りますが、奈良を代表する遺跡管理の為と思い入場します!
▼石舞台古墳とは!?
石舞台古墳とは、飛鳥時代の古墳で、「日本書紀」の推古天皇34年(626年)5五月の条に「大臣薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る」とあり被葬者は蘇我馬子であったと言われております。 墳丘箇所の盛り土は失われている為、墳形は分かっておらず「上円下方墳」、「2段積の方墳」、「下方八角墳」と推測されております。 主な特徴は、約30個(総重量は2,300t)の巨大な花崗岩が積み並べられており、墳丘の周りには空堀がめぐり、外堤が設けられております。 玄室は両袖式の横穴式石室で、西南方向に開口しております。
整備がされた道を進み石舞台に進みます。
約20年ぶりに訪れた石舞台は、変わらず石が積み上げられただけの不思議な古墳遺跡でした。
石舞台別景
古墳は御墓だからでしょうか、傍らには花が添えてあります。
これから内部入ります。 石室内部には排水溝があり、この当時から現代に通じる建築技術が在った事に驚かされます。
▼「蘇我馬子」とは!?
蘇我 馬子(そがのうまこ)は、生年は不詳であるが、550年前後であろうと推定される飛鳥時代の貴族で「敏達天皇」、「用明天皇」、「崇峻天皇」、「推古天皇」の4代に仕え、娘を崇峻天皇に嫁がせたり、聖徳太子妃とする事で外戚となり、蘇我氏の全盛時代を築いた人物です。 姪で皇太后であった炊屋姫を初の女帝である推古天皇へと即位させた事も特筆すべき点です。 また、日本へと上陸したばかりの仏教を信心する蘇我馬子は崇仏派として、強硬な廃仏派である物部守屋を用明天皇の御代である587年の「丁未の乱(ていびのらん)」にて聖徳太子(当時:厩戸皇子)等と共に打ち滅ぼし今日までに伝わる仏教の礎を築いた事でも知られます。 後に、推古天皇によって摂政に任じられた聖徳太子と共に政治を行い、仏教を奨励し、冠位十二階や十七条憲法を定めて中央集権化を進め、遣隋使を派遣して隋の社会制度や学問を輸入する等の業績があります。 人の定めとは因果な物で、当時絶大な権力を握る蘇我氏ですが、孫の蘇我入鹿の代になると不満が募り滅ぼされる事となります。
石室内部は非常に広く、高さが4㍍程あるので立って歩くことが出来ます。
▼なぜ石が剥き出し?
この「石舞台古墳」が他の古墳と決定的に異なるのは、石組みで造られた玄室上に被葬者を守る為に有る筈の封土が無い点です。 では何故無いのか?? これには複数の説が有り「自然に流れてしまった」や、「盗掘の為、一部を掘った所、その後に崩れてしまった」、「寺院等を建設する際に古墳に盛られた土砂を流用した」という説が有ります。 私が小学生の頃に遠足でこの地にに来た時には先生が自然に崩壊した説を教えてくれていました。 しかし、もう一つの説が私の中でそれではないか!?と考える説も言われています。 それは「孝徳天皇二年(646年)に起きた中大兄皇子や中臣鎌足等が蘇我入鹿を暗殺し蘇我蝦夷を自害させ、蘇我氏本宗家を滅ぼした乙巳の変後に、蘇我氏に対する懲罰として封土が剥がされ、墓が暴かれたとする」説です。 蘇我馬子は、蘇我氏を台頭させた張本人で既に亡くなっているとは言え国の権力を掌握し天皇すらも蔑にしてきた者です。そんな者に対する仕打ちとしては妥当なラインであったと思います。 今となっては、どれが本当かは分からないですが、私はそんな気がします。
▼石舞台の伝説
「狐が女の姿に化けて古墳の上で踊ったことから石舞台と名付けられた」という伝説がこの地域に誠しやかに言い伝えられていると言われておりますが、実際は若い人は知っていても年輩の方は知らず、その為近年に創作された話だそうです。
▼出土品
この規模の古墳で、中に眠るのが当時の権力者である蘇我馬子であれば、さぞかし素晴らしい埋葬品が共にあったと思われますが、墓は暴かれ石室内は盗掘に遭っており、発掘調査時には殆どの埋葬品は既に無かったかったそうです。 見つかったのは銅製の釘や石棺の欠片等が発見されるに留まったそうです。
石舞台古墳の傍らには、壊され無くなったとされる石棺を同時代の物から考証し再現されたものが展示されております。
▼さいごに
以上で、奈良県明日香村にある飛鳥時代の遺跡「石舞台古墳」の御案内となります。 1000年以上前に絶大な権力を握り、亡くなった後にも広大なこの墳墓に葬られ、そして当時は永遠に続くと思われながらも後代には一族もろとも歴史の闇へと消えていった蘇我氏の足跡を感じる事が出来る場所でした。 皆様も観光に訪れては如何でしょうか。 御精読有難うございました。
▼アクセス
やろうかなぁ?やめとこうかなぁ??と悩んだら ”犯罪や人に迷惑をかける事以外、全力でやってみて下さい。”の恩師の言葉を、元にとりあえず何でもやってみる、趣味は、旅行・骨董品収集のいくちゃと申します。(最近は、ドローンも楽しいです。)
当サイトでは、旅先での出会いに感謝をし、そこで得た感動や学びを勝手に皆様と共有出来るように作っております。
ちょっとでも面白いと思って頂けたら「いいね」等はお手間が勿体無いですので、ただただ明日も見て下さい。 よろしくお願いします!!