奈良県明日香村にある聖徳太子が建立した寺院「橘寺」を徹底解説!
奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院「橘寺(たちばなでら)」にやってきました!! こちら寺院は、寺伝では聖徳太子が建立したと伝わる聖徳太子建立七大寺の1つの寺院で、本尊に聖徳太子・如意輪観音が祀られております。 推古天皇の御代から伝わる古寺を参拝し、歴史ロマンに触れてみたいと思います。
▼聖徳太子が生れた場所
橘寺へ続く道の端に門柱の様に立つ石碑には「聖徳太子御誕生所」と記載されており、今ではなにも無いこの場所で聖徳太子が生れた事が分かります。 「橘寺」は、聖徳太子が父用明天皇の別宮を尼寺に改めたのが始まりと伝わり、つまりココに史実かどうかは別として、例の有名な厩戸皇子の由来となった厩(馬小屋)があったという事だと思われます。
東門入口の石段を進み境内に向かいます。
▼東門
東面して建立された橘寺は、この東門が正門になります。
▼境内
橘寺は、往年の頃には、大きな寺院であったそうですが、現在ではコンパクトに纏まっており小さな寺院となっております。 こちらの寺院は、寺伝では聖徳太子の建立と伝わりますが、史実では「橘寺」の創建年代は不明で発掘調査によって推古朝時代に造られたものでは無いと言われております。 つまり、聖徳太子が建立したものではなく、後代に由緒ある寺院とする為に、聖徳太子建立としたと考えられています。 本日の参拝では、史実を信じるか?寺伝を信じるか?と、どちらが面白いかを考えながら私は訪れました。
▼本堂(太子堂)
元治元年(1864年)に再建された建物で、本尊として室町時代永正十二年(1515年)に椿井舜慶によって作られた聖徳太子35歳の像「木造聖徳太子坐像」が安置されています。 橘寺は、正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」といいます。 橘寺という名は、垂仁天皇の勅命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来すると伝わります。 発掘調査では、東を正面として、中門、塔、金堂、講堂が東西に一直線に並ぶ、四天王寺式の伽藍配置だったことが判明しているそうです。
この「橘寺」は、創建以来、皇族・貴族の庇護を受けて栄えていたが、平安時代の久安四年(1148年)に雷で五重塔が焼失、文治年間(1185年-1189年)には五重塔から財政的な問題なのか三重塔として再建されました。 しかし、室町時代後期の永正三年(1506年)に南朝方の残党による挙兵があった為、室町幕府管領細川政元の家臣赤沢朝経による多武峰妙楽寺攻めが行われました。 この際に橘寺の僧が赤沢軍に加担した為、怒った多武峰の僧兵によって焼き討ちにあい灰燼に帰し、以降衰退していく事となります。 それでも聖徳太子ゆかりの寺として命脈を保ち続け、元治元年(1864年)には本堂として太子堂が再建され今日に至ります。
本堂内には本尊の太子坐像(座っている像)の他に、太子立像(立っている像)も安置されており観る事が出来ます。
▼聖徳太子の愛馬 黒駒
本堂前には「聖徳太子の愛馬 黒駒」を模した銅像が置かれております。 達磨大師の化身と言われる「黒駒」は、空を駆けたとも伝わります。
▼観音堂
安永六年(1777年)に本堂として建立されたと言われる観音堂は、現在の本堂が元治元年(1864年)に造られるのにあたり、現在の場所に移築されたそうです。
▼二面石
橘寺の境内で最も有名なものがこの「二面石」です。 飛鳥時代に造られたと言われる高さ約1mほどの石造物で、左右に善相と悪相が彫られており、人の心の二面性を表現しているといわれます。
善相(右側)
悪相(左側)
▼塔心礎(心柱の礎石)
永正三年(1506年)に焼失してしまってから、再建される事無く礎石のみが残る三重塔の跡です。
▼護摩堂
中には不動明王と大黒天が祀られています。
▼阿字池
聖徳太子が梵字の「阿」を模って造成したと伝わる非常に小さい池です。
▼蓮華塚
史実かどうかは別として聖徳太子が35歳の時に、推古天皇の命により勝鬘経(しょうまんきょう)の講義を3日間行うと、大きな蓮の花びらが庭に降り積もり南の山に千佛頭が光を放ちながら現れ、太子の冠からも日月星の光が輝いたとの伝説が有ります。 この塚は、その時に降った蓮の花を埋めた場所で、其の後の大化の改新で1畝(36坪)と定めた面積の基準の場所となり、「畝割塚」とも呼ばれています。
▼西門
本堂横を真っ直ぐに進むと、西門に出てきます。 こちらには駐車場等も完備されており参拝の折には真側まれ来れるので御高齢な方でも容易く参拝に訪れる事が出来ます!
▼サイクリング
飛鳥京は、山間の狭い場所につくられた小さな都の為、レンタルサイクル等で走ると非常に気持ちがいいです! 歴史ロマン溢れるこの町の小道をのんびりと散策するのは凄く楽しいです!
▼さいごに
以上で、聖徳太子縁の「橘寺」の御案内となります! 約1300年前に日本の中心であった、この古都にある古寺には、落ち都の歴史と共に、静かな時間が流れておりました。 ここに日本と言う歴史の一端を偲ぶ哀愁深い寺院に皆様も訪れてみては如何でしょうか。 御精読有難うございました。
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