埼玉県屈指の心霊スポットである古代遺跡「吉見百穴」を徹底解説!
これから本題の横穴墓の見学を始めます! 入る前は、ただの穴ぼっこが開いているだけのものと思っておりましたが、果たして!?解説と共にご覧いただきます!
この「吉見百穴(よしみひゃくあな/よしみひゃっけつ)」は、古墳時代後期(6世紀-7世紀頃)に造られたものであり、岩山の表面を掘って造られた集合墳墓です。 空けられた穴の数は現在219個となっておりますが、先述の地下に軍需工場が作られた際に、十数個が破壊され無くなっているそうです。
古墳時代に作られた墳墓だと「前方後円墳」の様なものが作られそうなイメージですが、考古学調査の結果によれば大化2年(646年)の薄葬令が出された時期と穴建設が行われた時期が重なるっており、大型墳墓が作れなくなった時代に、この様な墳墓が作られたと考えられています。
大化2年に出された「薄葬令」とはどういったものなのか!?
「薄葬令」とは、歴史の授業でも習った日本の成り立ちにも非常に重要な「大化の改新」の中で、大化2年(646年)3月22日に規定された条例の一つです。 これにより民衆の負担を軽減する為に、王侯貴族と庶民とで作ってよい陵墓を制限し、人馬の殉死殉葬の禁止、天皇陵の造営期間を7日以内に制限する等が定められました。 薄葬令が出された後は、墳陵は小型に簡素化され、古墳時代の終焉をもたらしました。
入り口が埋まりつつあるもの等もあります。
この場所には、至る所に上の写真の様に案内板がありますので現地で勉強しながら観光する事も出来るので、歴史を知らない人が来ても楽しむことが出来ます。
では、穴の中を観てみます!
入り口は非常に狭いですが内部は子供なら秘密基地にも使えそうな空間が広がっていました。 最初に目に入ったのは壁に書かれた壁画??と思われたローマ字等が書かれた落書きです。 他の横穴墓も同様に心無いガキ共にこの様に落書きされており非常に残念です。 床面を見て頂くとベッドの様になっているのが見えます。 ここに遺体が寝かして安置されたんだと思われます。 恐らく身長150㎝程の人しか寝れない広さですので現代人から観ると狭く感じますが当時の人々の身長を考えるとゆったりと寝かされていたんだと思います。 穴の中は高さは無いですが、安置するのは死体ですので問題なしですね!
穴の中には、古墳にもある台座状構造があり、ここに棺桶を安置したとされています。 また、一つの横穴墓の中には、台座が複数存在しており家族単位で葬られたものと考えられております。 小さい穴の為、庶民の墓の様にも思えますが、この様な墳墓を持てるのは身分の高い人々だけで、庶民が埋葬されたのではありません。
現在、全ての穴は近年に鉄柵がされたものを除いて空いたままですが、造営当時は緑泥片岩という緑色の石で作られた板状の石で蓋がされていました。
横穴墓の見学後、一旦山を下ります。
山と言っても高さ30メートル程ですが、上から観るこの麓を一望する風景はこの地に肉親を葬送後に観たものだと考えれば非常に面白いです。
やろうかなぁ?やめとこうかなぁ??と悩んだら ”犯罪や人に迷惑をかける事以外、全力でやってみて下さい。”の恩師の言葉を、元にとりあえず何でもやってみる、趣味は、旅行・骨董品収集のいくちゃと申します。(最近は、ドローンも楽しいです。)
当サイトでは、旅先での出会いに感謝をし、そこで得た感動や学びを勝手に皆様と共有出来るように作っております。
ちょっとでも面白いと思って頂けたら「いいね」等はお手間が勿体無いですので、ただただ明日も見て下さい。 よろしくお願いします!!