寺院なのに日本の100名城の一つ足利氏の氏寺「鑁阿寺」を徹底解説!

 栃木県足利市にある約800年の歴史を持つ真言宗大日派の本山”鑁阿寺(ばんなじ)”にやってきました! この「鑁阿寺」は、室町幕府を作った足利尊氏でも知られる足利氏の一族、足利義兼(戒名:鑁阿)によって建久七年(1196年)に居館(自宅)へ「大日如来を奉納した持仏堂」と「堀内御堂」を建立した事により始まった寺院です。 文暦元年(1234年)には、「足利義氏」が伽藍を整備し足利氏の氏寺となりました。 この寺院の特筆は、寺院なのに「日本100名城の一つ」に数えられている事にあります。 現在でも四方に門があり、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影と共に、足利氏の足跡を観れる貴重な寺院です。

 栃木県足利市にある約800年の歴史を持つ真言宗大日派の本山”鑁阿寺(ばんなじ)”にやってきました! この「鑁阿寺」は、室町幕府を作った足利尊氏でも知られる足利氏の一族、足利義兼(戒名:鑁阿)によって建久七年(1196年)に居館(自宅)へ「大日如来を奉納した持仏堂」と「堀内御堂」を建立した事により始まった寺院です。 文暦元年(1234年)には、「足利義氏」が伽藍を整備し足利氏の氏寺となりました。 この寺院の特筆は、寺院なのに「日本100名城の一つ」に数えられている事にあります。 現在でも四方に門があり、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影と共に、足利氏の足跡を観れる貴重な寺院です。




「鑁阿寺」への表門となる「楼門」と「反橋」を渡り、境内に入ります。 この雰囲気のある山門は、開基「足利義兼」によって建久七年(1196年)に創建され、永禄七年(1564年)に足利幕府十三代将軍「足利義輝」によって再建されたものです。 「楼門」を守る仁王像は、この山門よりも古く鎌倉時代に運慶によって作られたと伝わります。 寺院となって800余年の歳月をもつ「鑁阿寺」ですが、ここからの風景は上古の豪族の居館を原型のまま残した近世城郭の原始を観る事が出来ます。

「鑁阿寺」への表門となる「楼門」と「反橋」を渡り、境内に入ります。 この雰囲気のある山門は、開基「足利義兼」によって建久七年(1196年)に創建され、永禄七年(1564年)に足利幕府十三代将軍「足利義輝」によって再建されたものです。 寺院となって800余年の歳月をもつ「鑁阿寺」ですが、ここからの風景は上古の豪族の居館を原型のまま残した近世城郭の原始を観る事が出来ます。

右から観た「楼門」と「反橋」

右から観た「楼門」と「反橋」

左から観た「楼門」と「反橋」

左から観た「楼門」と「反橋」




「楼門」と「反橋」の前に左右に延びる道①

「楼門」と「反橋」の前に左右に延びる道①

「楼門」と「反橋」の前に左右に延びる道②

「楼門」と「反橋」の前に左右に延びる道②

「楼門」を守る仁王像は、この山門よりも古く鎌倉時代に運慶によって作られたと伝わります。 

「楼門」を守る仁王像は、この山門よりも古く鎌倉時代に運慶によって作られたと伝わります。 

仁王像




境内に入ると正面に国宝に指定される本堂、左手に休憩所、右手に弘法大師像が見えます。

境内に入ると正面に国宝に指定される本堂、左手に休憩所、右手に弘法大師像が見えます。

只今の時刻9時30分程、先に休憩所で朝食を頂く事にします!

只今の時刻9時30分程、先に休憩所で朝食を頂く事にします!

お店では、「足利名物 ポテト入り焼きそば」と「ソースで食べる白いシュウマイ 足利シュウマイ」の揚げと蒸を一つづつを注文しました。 朝から何も食べていないのお腹ペコペコでの感想は「ポテト要る????、シュウマイ・・・・うん・・・名物だし、一応食べといて良かった。」な感じでしょうか。 

お店では、「足利名物 ポテト入り焼きそば」と「ソースで食べる白いシュウマイ 足利シュウマイ」の揚げと蒸を一つづつを注文しました。 朝から何も食べていないのお腹ペコペコでの感想は「ポテト要る????、シュウマイ・・・・うん・・・名物だし、一応食べといて良かった。」な感じでしょうか。 




食後、気を取り直しお参りに行きます!

食後、気を取り直しお参りに行きます!

本堂前に並ぶ灯籠や石碑等を見ていると気になるものが!この石碑の文中に「天下泰平」の文字が!! これがいつ建てられたものなのか分かりませんが幕府を作った一族の氏寺にある石碑にこの文字は、なにやら期待するものがあります!!

本堂前に並ぶ灯籠や石碑等を見ていると気になるものが!この石碑の文中に「天下泰平」の文字が!! これがいつ建てられたものなのか分かりませんが幕府を作った一族の氏寺にある石碑にこの文字は、なにやら期待するものがあります!!

本堂の右手前に樹で隠れていますが立派な「鐘楼」が建っています。 この鐘楼も開基「足利義兼」によって建久七年(1196年)に本堂に次いで建立されたもので、国の重要文化財に指定されるものです。

本堂の右手前に樹で隠れていますが立派な「鐘楼」が建っています。 この鐘楼も開基「足利義兼」によって建久七年(1196年)に本堂に次いで建立されたもので、国の重要文化財に指定されるものです。




足利義兼の創建と伝えられる「多宝塔」は、元禄五年(1692年)に徳川五代将軍の母、桂昌院尼公によって再建されたものです。 内部には、金剛界大日如来と勢至菩薩が祀られています。

足利義兼の創建と伝えられる「多宝塔」は、元禄五年(1692年)に徳川五代将軍の母、桂昌院尼公によって再建されたものです。 内部には、金剛界大日如来と勢至菩薩が祀られています。

多宝塔の全体

また、横には栃木県の名木百選にも選ばれる樹齢約550年の「鑁阿寺の大いちょう」の樹があります。 この樹は、開基 足利義兼による御手植えと称され江戸時代には既に大木となっていたと伝わるが、鎌倉時代の古地図には載っておらず、また約800年前を生きた足利義兼が、樹齢約550年の樹を植えれる訳もないので、格式を高める為の誤伝だと思われます。 550年前とは室町時代に辺り、樹の成長速度から考えて江戸時代には大木になっているのは理に適っています。 高さが30㍍あるこの巨木は、境内における避雷針の役割りを果たしており、諸堂の災厄を守護をしております。 また、昔は、この前でお見合いが行われる等、縁結びの御神木とも伝わります。

また、横には栃木県の名木百選にも選ばれる樹齢約550年の「鑁阿寺の大いちょう」の樹があります。 この樹は、開基 足利義兼による御手植えと称され江戸時代には既に大木となっていたと伝わるが、鎌倉時代の古地図には載っておらず、また約800年前を生きた足利義兼が、樹齢約550年の樹を植えれる訳もないので、格式を高める為の誤伝だと思われます。 550年前とは室町時代に辺り、樹の成長速度から考えて江戸時代には大木になっているのは理に適っています。 高さが30㍍あるこの巨木は、境内における避雷針の役割りを果たしており、諸堂の災厄を守護をしております。 また、昔は、この前でお見合いが行われる等、縁結びの御神木とも伝わります。

本堂の見学に向かいます。

本堂の見学に向かいます。

神聖な場所なので念入りに手を洗います!

神聖な場所なので念入りに手を洗います!

国宝に指定される本堂は、鎌倉時代初期の1196年に足利義兼によって持仏堂として創建され、応永14年から永享4年(1407 - 1432年)に大規模改修を行われたものです。 御堂内部は、長い年月の間燻されてきた為、香ばしい香りがしました。

御堂の前には、いつの時代のものか分からないですが、気持ちの悪いミイラの様な像が祀られています。 この像は、釈迦の弟子の一人、「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」です。 信心深い方々には、「おびんづるさん」と親しまれてきた方で、中国、日本等のアジアでは尊者として祀られてきました。 日本では堂の前に置き、撫でると除病の功徳があるとされ、撫で仏の風習が広がったとされています。

御堂の前には、いつの時代のものか分からないですが、気持ちの悪いミイラの様な像が祀られています。 この像は、釈迦の弟子の一人、「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」です。 信心深い方々には、「おびんづるさん」と親しまれてきた方で、中国、日本等のアジアでは尊者として祀られてきました。 日本では堂の前に置き、撫でると除病の功徳があるとされ、撫で仏の風習が広がったとされています。




この朱色の柱が美しい御堂は「一切経堂」といい、開基足利義兼によって妻の供養の為、一切経会を修する道場として鎌倉時代に創建されました。 現在あるものは、応永十四年(1407年)に鎌倉公方足利満兼が再興したもので、国の重要文化財に指定されます。 普段は公開されていない内部には、八角形の輪蔵があり、一切経二千巻を収蔵しております。

この朱色の柱が美しい御堂は「一切経堂」といい、開基足利義兼によって妻の供養の為、一切経会を修する道場として鎌倉時代に創建されました。 現在あるものは、応永十四年(1407年)に鎌倉公方足利満兼が再興したもので、国の重要文化財に指定されます。 普段は公開されていない内部には、八角形の輪蔵があり、一切経二千巻を収蔵しております。

一切経堂 別アングル

一切経堂別アングル




この御堂は、開基足利義兼の妻、北條時子(源頼朝の妻の北条政子の妹)を祀る「蛭子堂」といい、「時姫堂」とも称されています。 また、時子の法名から知願寺殿とも言います。 時子は、寺伝では、自害したと云われ、これにまつわる逆さ藤天神足利又太郎忠綱の遁走、自刃の哀話は、足利七不思議の伝説の中、白眉の物語として残っています。 自刃した者を祀るという、なんとも恐ろしげな御堂には似つかわしくないですが、安産祈願の御堂としても知られ、妊娠中の女性がこの御堂におまいりすれば栗のいがより栗が軽くもげるが如く安らかに安産のききめありと言われ、昔から信仰されている。 本尊に栗のいがを手に持つ「蛭子女尊」が祀られています。

この御堂は、開基足利義兼の妻、北條時子(源頼朝の妻の北条政子の妹)を祀る「蛭子堂」といい、「時姫堂」とも称されています。 また、時子の法名から知願寺殿とも言います。 時子は、寺伝では、自害したと云われ、これにまつわる逆さ藤天神足利又太郎忠綱の遁走、自刃の哀話は、足利七不思議の伝説の中、白眉の物語として残っています。 自刃した者を祀るという、なんとも恐ろしげな御堂には似つかわしくないですが、安産祈願の御堂としても知られ、妊娠中の女性がこの御堂におまいりすれば栗のいがより栗が軽くもげるが如く安らかに安産のききめありと言われ、昔から信仰されている。 本尊に栗のいがを手に持つ「蛭子女尊」が祀られています。

見た目が面白いこの建物は、「校倉」と云い、「宝庫」、「大黒堂」とも称されています。 創建は鑁阿寺が出来た頃だと思われますが私の調べでは分からず、永享四年(1432年)に公文所奉行によって再建され、宝暦二年(1752年)にも再修されています。 建築様式は、校倉風で名前の通り元々は、鑁阿寺の宝物を収蔵しておりましたが、四十二世忍空上人の時に宝物は他へ移して足利伝来の大黒天を祀り今日に至ります。 市指定重要文化財に指定されています。

見た目が面白いこの建物は、「校倉」と云い、「宝庫」、「大黒堂」とも称されています。 創建は鑁阿寺が出来た頃だと思われますが私の調べでは分からず、永享四年(1432年)に公文所奉行によって再建され、宝暦二年(1752年)にも再修されています。 建築様式は、校倉風で名前の通り元々は、鑁阿寺の宝物を収蔵しておりましたが、四十二世忍空上人の時に宝物は他へ移して足利伝来の大黒天を祀り今日に至ります。 市指定重要文化財に指定されています。

無縁仏

「校倉」の横にある、大量の無縁仏。 私は、こういう墓を観るのが無名の人の歴史を観るようで心地よく感じます。 墓を建立した当時、親族の者は代々供養していきたいと悲しみと共に強く思っていたと思います。 しかしながら代を重ねるに連れて承継者の消滅や、子孫の引っ越し等により地縁が切れ無縁仏は生まれていきます。 一説には、ほぼ全ての墓はいずれ無縁化する運命を辿ると言われています。 こうったものに人間の歴史と哀愁を感じてしまいます。




成田山の文字が気になる御堂にがあります。

成田山の文字が気になる御堂にがあります。

この「中御堂(不動堂)」は、開基足利義兼により創建され、文禄元年(1592年)に再修されています。 安置される御本尊「不動明王」は、遠く千葉県「成田山」より勧請せるもので、興教大師の作といわれ霊験あらたかな不動明王として伝わります。  商売繁盛を記念する堂であると同時に、酉年主本尊でもあります。 堂の右側には古井戸の跡があり、八百年前足利氏が居住した時に使用したと伝わります。

この「中御堂(不動堂)」は、開基足利義兼により創建され、文禄元年(1592年)に再修されています。 安置される御本尊「不動明王」は、遠く千葉県「成田山」より勧請せるもので、興教大師の作といわれ霊験あらたかな不動明王として伝わります。  商売繁盛を記念する堂であると同時に、酉年主本尊でもあります。 堂の右側には古井戸の跡があり、八百年前足利氏が居住した時に使用したと伝わります。




この御堂は「大酉堂」と云い、元々は「足利尊氏公」を祀る御堂として室町時代に建立されたものです。 しかしながら、明治中期頃から足利尊氏逆賊の皇国史観が台頭した為、四十一世忍禅上人は、甲冑姿の尊氏公像を本坊に移し、当山伝来の「大酉大権現」を本尊としました。 この様にされたのは、足利市に限らず京都等でも足利家の墓等が人々に、蹴られたりしており災難が発生する前にとの思いがあったのだと思われます。 本尊として祀られる大酉大権現は、俗に「おとり様」といい、古来武神として武門の信仰篤く殊に東国では、近世より商売繁盛、福の神として信仰されています。

この御堂は「大酉堂」と云い、元々は「足利尊氏公」を祀る御堂として室町時代に建立されたものです。 しかしながら、明治中期頃から足利尊氏逆賊の皇国史観が台頭した為、四十一世忍禅上人は、甲冑姿の尊氏公像を本坊に移し、当山伝来の「大酉大権現」を本尊としました。 この様にされたのは、足利市に限らず京都等でも足利家の墓等が人々に、蹴られたりしており災難が発生する前にとの思いがあったのだと思われます。 本尊として祀られる大酉大権現は、俗に「おとり様」といい、古来武神として武門の信仰篤く殊に東国では、近世より商売繁盛、福の神として信仰されています。

この足利大権現を祀る赤御堂(御霊屋)は、これ自体が「足利大権現」とも言われます。 創建は鎌倉時代と伝わるが、現在の建物は徳川十一代将軍家斉の寄進によって再建されたものです。 本殿に源氏の祖が祀られ、拝殿には足利十五代将軍像を祀る。 本殿裏には、当山開基、足利義兼の墓があります。

この足利大権現を祀る赤御堂(御霊屋)は、これ自体が「足利大権現」とも言われます。 創建は鎌倉時代と伝わるが、現在の建物は徳川十一代将軍家斉の寄進によって再建されたものです。 本殿に源氏の祖が祀られ、拝殿には足利十五代将軍像を祀る。 本殿裏には、当山開基、足利義兼の墓があります。




児童公園

境内には、ちゃんと整備された児童公園がありました。 豊富な歴史を持つ場所にある公園は、この辺に住む方が少しうらやましく思ってしまいますね。

境内の見学後、四方に配される門の見学に向かいます。

境内の見学後、四方に配される門の見学に向かいます。




東門 栃木県指定文化財に指定される「東門」は、開基足利義兼の創建と伝わるが、永享四年(1432年)に再修されています。

東門 栃木県指定文化財に指定される「東門」は、開基足利義兼の創建と伝わるが、永享四年(1432年)に再修されています。




西門 栃木県指定文化財に指定される「西門」も、東門と同様に開基足利義兼の創建と伝わり、永享四年(1432年)に再修されています。形状簡古、手法稚朴、まさに鎌倉時代の武家造りの剛健な風格がしのばれます。

西門 栃木県指定文化財に指定される「西門」も、東門と同様に開基足利義兼の創建と伝わり、永享四年(1432年)に再修されています。形状簡古、手法稚朴、まさに鎌倉時代の武家造りの剛健な風格がしのばれます。




北門(薬医門) 利市の重要文化財の指定される「北門(薬医門)」は、開基足利義兼の子、足利義氏によって父の建てた鑁阿寺維持の為、掘の外に十二の支院(塔中十二坊)を鎌倉時代に建て、その筆頭(塔頭)を千手院とした。 この門は、千手院の門で、弘化二年(1845年)の再建である。 薬医門としては、規模雄大にして典型的な江戸末期の形式を有している。 ちなみに、千手院は幼稚園になってしまっており、廃寺になっていると思われます。

北門(薬医門) 利市の重要文化財の指定される「北門(薬医門)」は、開基足利義兼の子、足利義氏によって父の建てた鑁阿寺維持の為、掘の外に十二の支院(塔中十二坊)を鎌倉時代に建て、その筆頭(塔頭)を千手院とした。 この門は、千手院の門で、弘化二年(1845年)の再建である。 薬医門としては、規模雄大にして典型的な江戸末期の形式を有している。 ちなみに、千手院は幼稚園になってしまっており、廃寺になっていると思われます。




以上で「鑁阿寺」の御案内となります。 鎌倉時代から室町時代にかけ栄枯衰退をしながら、日本の歴史にその名を刻んだ足利氏の足跡が、この寺には残っています。 寺院としての魅力、日本の古城としての魅力を一度に二度味わえるこの地は何度訪れても飽きることない魅力に溢れた場所です。 皆様も一度訪れては如何でしょうか。 最後に寺院を囲む御堀をご覧頂きながらお別れいたします。 御精読有難うございました。

以上で「鑁阿寺」の御案内となります。 鎌倉時代から室町時代にかけ栄枯衰退をしながら、日本の歴史にその名を刻んだ足利氏の足跡が、この寺には残っています。 寺院としての魅力、日本の古城としての魅力を一度に二度味わえるこの地は何度訪れても飽きることない魅力に溢れた場所です。 皆様も一度訪れては如何でしょうか。 最後に寺院を囲む御堀をご覧頂きながらお別れいたします。 御精読有難うございました。




名称	鑁阿寺 所在地	栃木県足利市家富町2220 料金	無料 営業時間	9:00~16:00 種別	神社仏閣 備考	駐車場は、近くの太平記館に無料で駐車可 評価	98点

名称 鑁阿寺 所在地 栃木県足利市家富町2220 料金 無料 営業時間 9:00~16:00 種別 神社仏閣 備考 駐車場は、近くの太平記館に無料で駐車可 評価 98点

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