千葉県船橋市の「飯盛り大仏」が祀られる『不動院』を徹底解説!!
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千葉 船橋 不動院 千葉県船橋市にある「飯盛り大仏」という変わった大仏追善供養が行われる真言宗の寺院、”不動院”に行ってきました! 船橋の大仏と聞きつけやって来たココは、船橋の海側の市街地の中を通る本町通りから少し入った路地にあり、表通り沿いに無い為、まさに地元の人のみぞ知るお寺さんです。
境内に入らずとも見える「大仏」に「全然大きくないやん・・・」と少しガッカリするかもしれませんが、権力者による建立では無く、庶民の寄付による建立だと仕方ないのです。 サイズ感さておき、この大仏の供養には悲しい歴史が看板に書いておりましたので、当時の世情も知れ興味深かったので、下記にそのまま抜粋致します。
大仏追善供養 船橋の海は、江戸時代初期~中期にかけて幕府に魚介を献上する「御菜浦」とされた好漁場でした。 しかし、元禄16年(1703)の大地震による海底地形の変化等で翌年から魚介の献上が中止され、代金納になりました。 その後この漁場を巡って、近隣(堀江・猫実・谷津・鷺沼)の漁師達と多くの争いが起こりました。 文政7年(1824)、船橋村と猫実村(現浦安)との漁場の境界を巡る争いが続いてきてた時、船橋漁師の占有漁場に他村漁師の船が侵入して来ました。 その中に、一橋家の幟を立てた船が有り、乗っていた侍を船橋の漁師が殴打し、幟を奪ってしまいました。 大きな事件であった事から、船橋の漁師総代3名が入牢させられました。 1名は牢死し、1名は牢を出て間もなく死亡しました。 その為、延享3年(1746)の津波による溺死者、漁場を守り死んでいった漁師総代の供養を合わせて行うようになりました。 大仏追善供養は、事件の翌年の文政8年(1825)以来、毎年1月28日(明治以降は2月28日)に行われるようになりました。 本来この大仏は津波によって溺死した漁師や住民の供養の為、延享3年に建立された石造釈迦如来坐像です。 供養の日には、炊き上げた白米の飯を大仏に盛り上げる様につけます。 これは、牢内で食が乏しかった苦労を慰める為と言われています。 大仏の西側には漁師総代2名の供養碑が建てられています。
船橋の歴史を学んだ後、広くない境内を本堂に向けて進みます。 「大仏」以外に他に観る物は無いかと探しますが「・・・・」、それ程多くはないですが、境内には古い石仏等・・・ んー無いっ・・・
本堂 このお寺さんの創建年は不詳ですが、石仏から江戸時代中期以前には創建された事が分かっております。 こういった小さい寺院は、地域では大事にされてもその他には大きな影響を与えてこなかった為、詳しい情報等は余り出て来ない事が多いんです。 本堂横には「不動尊地蔵堂」と呼ばれる御地蔵さんを祀る小さな御堂と、境内横には墓地が隣接されております。
最後にこの寺院の前に通る通りの写真です。 御覧の通り普通の住宅街にある為、地元の人以外では知りえない寺院である事が分かります。 以上で「船橋 不動院」の御案内となります。 毎年2月28日には、地域行事として「大仏追善供養」が行われておりますので、江戸時代から続く船橋の風俗を見学に来られては如何でしょうか。 御精読ありがとうございました。
名称 真言宗豊山派 不動院 所在地 千葉県船橋市本町3-4-6 料金 無料 ※駐車場無 種別 神社仏閣 備考 毎年2月28日に「大仏追善供養」が行われます。 評価 45点
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