【写真で観る】死者の生前の罪を裁く神「閻魔大王」が祀られる千葉県流山市にある”閻魔堂”行き方

千葉 閻魔堂 千葉県流山市にある地獄の番人「閻魔大王」さまを祀った、”閻魔堂”に行ってきました! 流山市の”閻魔堂”は、江戸時代建立の御堂で、閻魔様が安置されている他、境内には金子市之丞の墓(かねこいちのじょう)が有る事でしられています。 電車で行くと流鉄流山駅から徒歩5分程で行けますが、車で行くと辺りに駐車場が無く(結構探したのですが、私が見つけれなかっただけかもしれないです。)、仕方なく江戸川沿いの安全な場所を見つけ駐車し、少し歩いて行きました。 つまり、観光地ではなく、地元の信仰で成り立っている御堂である事が分かります。 閻魔堂の側には、鎌倉時代創建の「常与寺」があり、ココを目指して進むと分かりやすいです。




そして到着!閻魔堂の境内です。 完全に墓所ですね。ちなみに、私はコノ看板を見てもココだとは分からず「常与寺」の方だと思い、しばらくそっちをウロウロしてました。 ほんとうに、ただのお墓です。・・・・ この墓守の方が待機される為に作られたプレハブの様な建物が「閻魔堂」です。 完全に昔のボロ屋そのものです。 前知識なく中コレが”閻魔堂”と分かる方は、たぶん居ないと思います。 




中を覗くと、立派な「閻魔大王」が安置されライトアップがなされています。 この「閻魔大王」のお顔を良く見て下さい!お茶目に舌を出しています。 「もっと立派な御堂だと思ったでしょーやっちゃった!」テヘペロって感じでしょうか。 冗談はさておいて、この「閻魔大王」の像も古い物で、江戸時代に作られたものとなります。




境内入ってすぐには、「金子市之丞」の墓が有ります。 金子市之丞墓所 金子市之丞は、言い伝えによると1769年に流山の醸造家「金子屋」に生まれた。 家運が傾き父は没したが家業に励むことなく賭博に興じた為、母に勘当された。 やがて母も没して家屋敷までもが人手に渡り、ついに盗賊に身を落とし「金市」と言われたという。 大坂で捕えられ1813年2月6日に小塚原の刑場で獄門にされた。 同十九日に上新宿村の某が首級を持ち帰り翌日に光明院に葬られたと言われている。 盗賊などのを平安の六歌仙に見立てた講談「天保六花撰」に登場し明治14年に初公演された歌舞伎「天衣粉上野初花(くもにまごううえののはつはな)」で人気を博した。 物語では大店から盗んだ金品を貧しい人々にばらまいたこと事から、「ビン小僧の金市さま」等と呼ばれ、義賊としてこの墓石がたてられたようである。 写真隣の墓石は、同作で金市の愛人とされた花魁三千歳の墓とされている。 (流山市観光協会立て看板より)




”閻魔堂”から直ぐ近くには「江戸川」が流れており、見学後にのんびり土手を散策すると夏場でも風が抜け非常に気持ちいいです!以上で、”閻魔堂”の御案内となります。 この近くには、「常与寺」、「新選組流山本陣跡」等もあり、30分程で全てを纏めて見学する事が出来ます。 一度遊びに行かれては如何でしょうか。 御精読ありがとうございました。








 

名称        閻魔堂 所在地      千葉県流山市流山2-116 アクセス        流鉄流山駅から徒歩5分 営業時間      年中無休 24/365 料金           無料 種別             寺社仏閣 備考      新選組流山本陣跡も直ぐ側にあります。 評価       75点

【写真で観る】死者の生前の罪を裁く神「閻魔大王」が祀られる千葉県流山市にある”閻魔堂”行き方 千葉観光で行きたい、死者の生前の罪を裁く神「閻魔大王」が祀られる流山市にある”閻魔堂”まとめ 千葉 閻魔堂 千葉県流山市にある地獄の番人「閻魔大王」さまを祀った、”閻魔堂”に行ってきました! 流山市の”閻魔堂”は、江戸時代建立の御堂で、閻魔様が安置されている他、境内には金子市之丞の墓(かねこいちのじょう)が有る事でしられています。 電車で行くと流鉄流山駅から徒歩5分程で行けますが、車で行くと辺りに駐車場が無く(結構探したのですが、私が見つけれなかっただけかもしれないです。)、仕方なく江戸川沿いの安全な場所を見つけ駐車し、少し歩いて行きました。 つまり、観光地ではなく、地元の信仰で成り立っている御堂である事が分かります。 閻魔堂の側には、鎌倉時代創建の「常与寺」があり、ココを目指して進むと分かりやすいです。 そして到着!閻魔堂の境内です。 完全に墓所ですね。ちなみに、私はコノ看板を見てもココだとは分からず「常与寺」の方だと思い、しばらくそっちをウロウロしてました。 ほんとうに、ただのお墓です。・・・・ この墓守の方が待機される為に作られたプレハブの様な建物が「閻魔堂」です。 完全に昔のボロ屋そのものです。 前知識なく中コレが”閻魔堂”と分かる方は、たぶん居ないと思います。  中を覗くと、立派な「閻魔大王」が安置されライトアップがなされています。 この「閻魔大王」のお顔を良く見て下さい!お茶目に舌を出しています。 「もっと立派な御堂だと思ったでしょーやっちゃった!」テヘペロって感じでしょうか。 冗談はさておいて、この「閻魔大王」の像も古い物で、江戸時代に作られたものとなります。 境内入ってすぐには、「金子市之丞」の墓が有ります。 金子市之丞墓所 金子市之丞は、言い伝えによると1769年に流山の醸造家「金子屋」に生まれた。 家運が傾き父は没したが家業に励むことなく賭博に興じた為、母に勘当された。 やがて母も没して家屋敷までもが人手に渡り、ついに盗賊に身を落とし「金市」と言われたという。 大坂で捕えられ1813年2月6日に小塚原の刑場で獄門にされた。 同十九日に上新宿村の某が首級を持ち帰り翌日に光明院に葬られたと言われている。 盗賊などのを平安の六歌仙に見立てた講談「天保六花撰」に登場し明治14年に初公演された歌舞伎「天衣粉上野初花(くもにまごううえののはつはな)」で人気を博した。 物語では大店から盗んだ金品を貧しい人々にばらまいたこと事から、「ビン小僧の金市さま」等と呼ばれ、義賊としてこの墓石がたてられたようである。 写真隣の墓石は、同作で金市の愛人とされた花魁三千歳の墓とされている。 (流山市観光協会立て看板より) ”閻魔堂”から直ぐ近くには「江戸川」が流れており、見学後にのんびり土手を散策すると夏場でも風が抜け非常に気持ちいいです!以上で、”閻魔堂”の御案内となります。 この近くには、「常与寺」、「新選組流山本陣跡」等もあり、30分程で全てを纏めて見学する事が出来ます。 一度遊びに行かれては如何でしょうか。 御精読ありがとうございました。 名称 閻魔堂 所在地 千葉県流山市流山2-116 アクセス 流鉄流山駅から徒歩5分 営業時間 年中無休 24/365 料金 無料 種別 寺社仏閣 備考 新選組流山本陣跡も直ぐ側にあります。 評価 75点

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