群馬県館林市にある徳川四天王・榊原康政が眠る『善導寺』に行ってみた
古くは和銅元年(708)に行基によって開山されたと伝わり、徳川三傑・徳川四天王・徳川十六神将に数えられる名将・榊原康政が眠る群馬県館林市の『善導寺』にやってきました。
当寺は、山号を終南山という浄土宗の寺院だよ。
本日は、行き方や歴史を踏まえてご案内したいと思います。
▼アクセス
「善導寺」へ公共交通機関で訪れる場合は、JR館林駅東口から出ている群馬コミュニティバスに乗車し、アゼリアモール前下車徒歩8分で訪れる事が出来ます。
※10駅/乗車時間13分/200円
だけど、周りに何もないところだから車で訪れた方がいいよ!! 無料の駐車場も完備しているからね。
住所:〒374-0004 群馬県館林市楠町3692
入口の石柱には、左に「関東十八檀林 善導寺」、右には「明治天皇勅願所 見松院」と刻まれております。
関東十八檀林(かんとうじゅうはちだんりん)というのは、江戸時代に定められた関東における浄土宗の僧侶の養成機関の事で、東京の増上寺等18ヶ寺が定められているんだ。
石門から山門へ向けて表参道を歩きます。
▼山門
現れた山門は、約400年前の色調を再現した造りになっております。
この寺院の伽羅(建物)は、全て近年に再建されたものだから残念なことに趣は無いけどピカピカなんだ。
山門をくぐり抜けた境内は思いの外広い造りになっておりました。
▼辨天堂
境内に入って直ぐには弁天像が祀られる辨天堂があります。
祀られる弁天像は、奈良時代の僧侶の行基によって彫られたもので、「西向き辨財天」と呼ばれております。
御堂は、木造堂版葺寄棟造平屋建となっていて江戸時代末期の文政四年(1821)に造られたものだよ。
▼薬師堂
次に、薬師如来が祀られる薬師堂がありましたので、こちらにも参拝します。
この薬師堂は、木造銅板葺四柱方形造りで江戸時代末期の文政十二年(1829)に建てられたものだよ。
本堂に向かって進むと途中には、「安らぎの鐘」と名された鐘が吊るされる鐘楼もあります。
案内板に従えば誰でも自由に鐘をつく事が出来るんだよ。
▼不動堂
境内の中頃にある「不動堂」へも手を合わせます。
この不動堂も木造銅板葺四柱方形造りで江戸時代末期の文化四年(1807)に再建されたもので、御本尊には行基によって彫られたと伝わる「願成出世不動尊」が祀られているよ
▼本堂
そして、本堂前にやってきました。
あらゆるものが再建されていて、左右に置かれる石灯篭まで真新しいね。
この善導寺は、開基は行基と云われておりますが、榊原康政が館林城主となった際に、自身の菩提寺として諸堂を建立した事により興隆します。
しかしながら、近年に行われた館林駅前開発によって現在の地へと平成二年(1990)に移設されてきました。
その為、全てが真新しく造られたのです。
本堂は鮮やかな赤銅色でこちらも山門同様に建立当時の彩色を再現されております。
しっかりと参拝します。
▼榊原康政の墓
そして、本堂の裏手を歩き本日のメインディッシュとなる『榊原康政の墓』にやってきました。
勿論、このお墓も館林駅前から移設してきたんだけど、その際に発掘調査が行われて榊原康政の火葬された骨も僅かに発見されたんだよ。
お墓は計4基並んでおり、一番大きなお墓が榊原康政の墓です。
正面にみて、左から「南直道の墓」、「榊原康政の墓」、「大須賀忠政の墓」、「榊原康勝の墓」、「花房氏の墓」が並んでいるんだ。
南直道は、榊原康政の側近で殉死した武将
大須賀忠政は、榊原康政の長男で遠江国横須賀城主を務めた武将
榊原康勝は、榊原家の二代目を務めた武将
花房氏は、榊原康政の側室で二代目康勝の生母
榊原康政のお墓を参拝後、善導寺を後にします。
▼さいごに
以上で群馬県館林市にある徳川四天王・榊原康政が眠る『善導寺』のご案内となります。
皆様も歴史に名を刻む名将のお墓を尋ねに訪れてみては如何でしょうか。
ご精読ありがとうございました。
みんなも来てみてねー
▼最寄りの宿
館林グランドホテル
大風呂・和食処有り。つつじヶ岡公園近く。駅よりお車3分、ICより7分。シングル4,700円より。
374-0016
群馬県館林市松原1-22-2
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