織田信長によって安土城内に建立された近江八幡市の『総見寺』に行ってみた

総見寺
 見所が豊富過ぎて安土城址をご案内をしているうちに3ページ目となりましたが、最後に織田信長が安土城内に建立した『総見寺(そうけんじ)』を観てみたいと思います。

 


▼百々橋口道

山道
 現在の総見寺本堂は1ページ目でご案内している通り、大手道にある伝・徳川家康邸跡地に建立されておりますが、創建当時は天守と同様に頂上付近に造られてました。

 その為、大手道を進んで天守閣を見学後に途中の分岐を案内板に沿って向かうと楽に訪れる事が出来ます。

 しかし、それでは面白みがないので、今回のご案内では現在は通行が止められている創建当時の参拝ルートである百々橋口道を進んで本堂跡地に向かいたいと思います。

石段
 道は石段こそありますが、崩壊しつつある場所や木の根や石がゴロゴロとしており、足の悪い人には少々難のある道です。

五輪塔
 訪れた本日は、師走の平日に加えて雨が降っており、参拝客は僕以外には1組がいただけでした。

 なので、境内とはいえ誰もいない山道を歩いていると熊が出ないか等の不安に駆られてきます。

 そこに急に現れた人工物(五輪塔)を観て少し安心しました。

石段
 更にぐんぐんと石段を進んでいきます。

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▼仁王門(楼門)

山門
 そして、その先に観えたのが仁王門です。

 安土城といえば信長が建てた城として、多くの観光客を集めるシンボルとして城下町はさぞかし栄えているだろうと思っている人は多いともいます。 (少なくとも僕はそう思ってました。)

 ところがどっこい、城の周りには田園風景が広がる静か過ぎる寂しい場所となっております。 (それも、そうか・・・信長が死んで500年近く経ってますしね。)

 本日は、師走の平日、しかも雨日和の前述の通り観光客が僕含め2組がいるだけです。

 なので、仁王門付近には人っ子一人おらず静けさが、一層の荘厳さを与える雰囲気となっております。

山門
 重要文化財に指定される『仁王門(楼門)』は、織田信長によって総見寺の創建時に近江国甲賀郡柏木神社より移築されたものです。

 ちなみに、この門だけでなく「総見寺」は、「俺のものは俺のもの お前のものも俺のもの」というジャイアニズム感丸出しの信長によって近隣の神社仏閣からかき集めて建てられた伽藍(がらん)によって構成されてされております。


 仁王門と同様に重要文化財に指定される仁王像は、平安時代に造られたものとの事です。

 という事は、当然この像もどこかからか分捕ってきたものという事ですね。

山頂に向けて
 信長も眺めくぐり抜けた仁王門を見学後、石段を更に進みます。




▼三重塔

三重塔
 そして、現れた見事な『三重塔』は、「総見寺」が建てられるよりも約100年前の室町時代(1454年)に近江国甲賀郡長寿寺に建立されたものです。

 勿論これも総見寺が創建された時にジャイアニズム満載で移築してきたものです。

 こんなモノを奪われた寺院の気持は如何に・・・ 

▼摠見寺本堂跡

本堂跡
 総見寺本土含む伽藍の中枢は、本能寺の変の直後に発生した安土城の炎上の際には類焼を免れる事が出来ましたが、江戸時代末期(1854年)に三重塔や仁王門等を僅かに残し焼失してしまいました。

 その為、その後に前述の通り伝・徳川家康邸跡に本堂を移し今日に至っております。

パノラマ風景
 本堂からは、琵琶湖から実質的に分離した「西の湖」の風景を楽しむ事が出来ますが、雨の為こんな感じです。

▼さいごに

御朱印
 最後に入場受付で、御朱印を頂き城を後にしました。

 以上で、安土城と総見寺のご案内となります。

 皆様も戦国時代を終わらせた一人の麒麟児の足跡を辿りに訪れてみては如何でしょうか。

 ご精読ありがとうございました。




▼アクセス

住所:〒521-1311 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦