悲しき「産女の幽霊」民話が伝わる長崎市の『巍々山 光源寺』に行ってみた

巍々山 光源寺
 前回に続き、長崎県長崎市の市街地から見て山手側には寺町という寺が群立するエリアにやってきました。
そう
 そこには多くの観光客が訪れる「興福寺」という唐寺もありますが、それ以外の寺院に訪れる観光客は殆どおりません。

 しかしながら、長崎の風俗(エロい方じゃなく、文化とかそいうの)を観る事出来る貴重な場所となっております。

 本日は、「産女の幽霊」という悲しい女性の民話が伝わる『巍々山 光源寺』をご案内致します。




▼アクセス

中島川
 「光源寺」へは、JR長崎駅前から出ているチンチン電車(路面電車)の長崎電軌2、3、4、5系統のいずれかに乗り、「めがね橋」もしくは「市民会館」で下車し、山手方面に進んだ「中島川」を越えた辺りに広がる寺町の中にあります。

 ※この寺院のある場所へは、日本初の唐寺である「興福寺」もしくは、坂本龍馬が起こした日本初のカンパニー「亀山社中」の跡地へのついでに訪れる方が殆どだと思います。

東明山 興福寺  亀山社中

 住所:〒850-0802 長崎県長崎市伊良林1丁目4−4

▼寺町

石壁
 寺町エリアに知らずに足を踏み入れると石垣が積み重なった、さながら城の様な風景が広がっております。

 「元は城だったのかな??」と疑問になったので、先に訪れた興福寺の社務所で聞いてみました。

 「長崎では昔から大火が頻繁に発生しており、江戸時代には街全体を焼失させるようなものまで発生してしまっておりました。

  特に長崎大火と呼ばれる火災は深刻で、再建にも多くの歳月を要したそうです。

  その復興を行う際に町割りを見直す一環で街中にあった寺院を山手に集めたのが本日に続く寺町の始まりとなっております。

  この石垣群は、長崎に大火が発生した際に、防火壁の意味合いも持たせて石垣が連なった構造をもったそうです。」

  石垣一つにも意味があり、歴史がありますね。

▼産女の幽霊

産女の幽霊
 先ずは、寺院に訪れる前に『産女の幽霊』という民話を先にお話し致します。

 むかしむかし、長崎の麹屋町に一軒の飴屋さんがありました。

 ある晩、店主が戸締りをしていると戸を叩く音がするので開けると、そこには青い顔をした女性が立っていました。

 その女性は、「すいません、飴を一文売ってくれませんか」と言いました。

 店主は、「夜分にどこの誰だろうか、気味が悪いな」と思いながらも飴を一つ売りました。

 しかし、次の日もその次の日も夜になると青い顔をした女性が飴を買いにきました。 それから、七日目の夜のことです。

 「すいません。 今夜はお金が無くなってしまいましたので、飴を一つ恵んで頂けないでしょうか。」と言いました。

 店主は、不思議に思い飴を与え、その女性の後をつけ行くことにしました。

 すると、女性は光源寺本堂裏のお墓の前でふっといなくなり、それに驚いた飴屋の店主は逃げて帰りました。

 翌朝、光源寺の和尚さんに事情を話し、女性が消えた墓の前に行くと土中から赤ん坊の鳴き声が聞こえます。

 そして、その墓を掘りかえしてみると、亡くなっているあの女性が生まれて間もない赤ちゃんを抱いておりました。

 その亡くなっていた女性は、埋葬される際に三途の川の渡し賃として一緒に入れられた六文銭を一文ずつ使い、赤ん坊に飴を買って食べさせていたのです。

 なんとも不思議なこの事件を和尚さんが調べてみると、近くで宮大工をしている藤原清永が父親であると分かりました。

 清永は京都で修行中にその女性と恋仲になり身籠らせてしまいましたが、修行を終え長崎に戻ると親の決めた別の女の人と結婚してしまいました。

 それを知らない女性は命がけで京都から長崎までやってきましたが、真実を知り行いくあてもなく、悲しみのあまりに亡くなってしまいした。

 和尚さんからその事を聞かされた清永は嘆き自分の行いを懺悔し赤ん坊を引き取って育てました。

 この顛末から数日後、飴屋にまた青い顔の女性がやってきました。

 「あなたのお陰で赤ん坊が助かりました。 お礼に何かさせて頂けないでしょうか」と言いました。

 飴屋の店主が「この辺りは水が無く困っております。」と言うと、女性は「明日の朝、この櫛が落ちている所を掘って下さい。」と言い姿を消しました。

 翌朝、近くを探すと櫛が落ちており、そこを掘ってみると冷たい水が湧き出してきました。

 町内の人々はここに井戸を作り、渇れることの無い井戸は町の人々の喉を潤し続けたと云われます。

 めでたしめでたし、といった話です。 

 この民話のタイトルだけでは知らない人が多いですが、話を聞くと小学生時代等に聞いた記憶が蘇る人もいるかと思います。




▼巍々山 光源寺

山門
 山の斜面に造られた光源寺の『山門』まえにやってきました。

 山門の建てられた年代は不明ですが、当山の本堂は江戸時代の天保六年(1835)に再建されておりますのでその際に山門も再建された可能性が非常に高いと思われます。

境内
 斜面に造られたそれ程広くない境内には、集合墓がやたらと目に入ります。

 この寺院は、恐らく地域のコミュニティとして利用されており、「境内」に入ると沢山の子供の声が聞こえてきました。

本堂
 境内の中央部に位置する『本堂』の前にやってきました。

 元々あった本堂は、寛永年間に造られましたが創建から約200年後の幕末に焼失してしまいました。

 そして、天保六年(1835)に再建され現代まで残り、平成三年に修復されております。

ルート
 では、次に斜面を登り寺の裏にある赤子塚を見に行きます。




▼赤子塚

赤子塚
 墓地が並ぶ中にポツンと立つ『赤子塚』の前にやってきました。

 「産女の幽霊」の民話を聞いた時に平らな土地に建つ寒々しい墓地を想像しましたが、この様な斜面の狭い墓地にあるとは思いもしなかったです。

 塚の前にある石碑には母の愛を称える内容が書かれております。

▼さいごに

 以上で、悲しき「産女の幽霊」民話が伝わる長崎市の『巍々山 光源寺』のご案内となります。

 「産女の幽霊」の民話は、まったくの創作によって作られたものなのか、それとも実話がある上で創作が加えられたものなのかは分かりませんが、母と子の深い愛を思わずにいられません。

 皆様も母の愛を改めて思い感じる事が出来る当山へ訪れてみては如何でしょうか。

 ご精読ありがとうございました。

 ちなみに、「子育て幽霊」の話は仏教が伝播した土地の多くに見られ、ガンダーラの仏教遺跡にもそれを観る事が出来るそうで、日本でも茨城・静岡・京都・鳥取・島根・福岡に似た民話や伝承が伝わる場所があり、そういった事から仏教説話から生まれた話である可能性が高いそうです。

▼最寄りの宿

ホテルベルビュー長崎出島

JR長崎駅から路面電車で約5分、空港リムジンバス停から徒歩約2分。全館有線LAN・Wi-Fi回線完備
850-0861
長崎県長崎市江戸町1-20(大波止電停前)

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