かつて戦国武将・龍造寺隆信公を祀っていた佐賀県の『宗龍寺』に行ってみた

宗龍寺
 九州に島津氏に並ぶ勢力を築き上げ肥前の熊の異名をとった戦国武将龍造寺隆信公がかつて祀られていた佐賀県佐賀市にある曹洞宗の寺院『宗龍寺』にやってきました。

 (ちなみに、いつも通りの偶然です。 たまたま通りかかった時に見た案内板に「龍造寺隆信」の名前が書かれていたので立ち寄りました。)

 この寺院の歴史と共に見どころをご案内したいと思います。




▼龍造寺隆信

龍造寺隆信
 先ずは、この寺院に祀られていた『龍造寺隆信』とはどの様な武将だったかを簡単にご案内します。

 「龍造寺隆信」は、戦国時代から安土桃山時代にかけて肥前(現在の佐賀県・長崎県を跨ぐエリア)で活躍した武将です。

 隆信は幼少期から波乱万丈な人生を歩み、7歳で仏門(出家)に出されるも14歳の時に父と祖父を主君であった少弐氏に謀反の嫌疑をかけられ誅殺されます。

 ここで一族が絶える事を憂えた曾祖父に連れられ一時逐電するも、今では義心厚き武将として知られる筑後国南部の戦国大名であった蒲池鑑盛に援軍を頂き、元は同じ少弐氏の重臣で父・祖父の仇となった馬場頼周を打ち取り龍造寺氏を再興し15歳で家督を継ぐ事になります。

 その後、幾度のもの戦いを経てと次々と勢力を拡大していき、肥前統一を果たし自称・「五州二島の太守」となりました。

 しかし、拡大の途上での敵への仕打ちが過酷なもので、それらに不満を持つ家臣も多く出る状況となってしまいます。

 そして、龍造寺氏の家臣となっていた有馬晴信(後にキリシタン大名として知られる事になる)が離反し、島津氏が連合し発生した「沖田畷の戦い」で優勢な兵力を持ちながらも術中にはまり首を跳ねられてしまいます。

 その後の龍造寺氏は、こちらも家臣であった「鍋島直茂」が主家を乗っ取る形で奪い、大名家としての龍造寺氏は滅亡する事になります。

▼アクセス

お堂
 佐賀駅からも歩いて来れる『宗龍寺』にやってきました。

 道路に面した表門は立派で、もともと訪れる予定の無かった僕ですが、思わず立ち止まって参拝に行くことにしました。

 ※写真は、境内内部にあるお堂です。

 住所:〒840-0054 佐賀県佐賀市水ヶ江1丁目1−13




▼曹洞宗金剛山 宗龍寺

本坊
 こちらの寺院は、四百数十年前の天正十六年に五国二島の大主となった「龍造寺隆信公」の冥福を祈る御菩提寺として、かつて龍造寺氏に仕え、主家を奪い肥前藩藩祖となった鍋島直茂公が佐賀城東北の鬼門にあたる当地に建立した事に始まります。

 本尊には釈迦牟尼仏如来を祀り、寺名は隆信公の戒名である「雲院殿泰巌宗龍大居士」に由来するものとして付けられました。

 寺領は鍋島直茂公より十六町八反余り、石高二百六石を安堵され、大広間二十四間、台所七間四面と云われ大伽羅であったと云われます。

 しかし、明治維新によって廃仏希釈の余波を受け、隆信公のお墓も肥前国佐賀藩第11代藩主・鍋島直大の命によって高伝寺に移され寺領も奉還させられます。

 今日見られる姿になったのは、再興を願う宗龍寺三十世住職にって再建がなされ鎮西の巨利曹洞禅門の道場として当時を偲ばせる寺に復興されております。




▼さいごに

宿坊
 以上で、かつて戦国武将・龍造寺隆信公を祀っていた佐賀県の『宗龍寺』のご案内となります。

 現在では既に龍造寺隆信公のお墓が無い寺院となっておりますが、当時を偲ばせる寺院には松尾芭蕉が詠んだ句「夏草や兵どもが夢の跡」がぴったりと合う赴きがありました。

 皆様も訪れてみては如何でしょうか。

 ご精読ありがとうございました。

▼最寄りの宿

アパホテル<佐賀駅前中央>

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