朝鮮出兵前に太閤自らお手植えした桜が残る名護屋城『法光寺』に行ってみた

名護屋城『法光寺』
 佐賀県唐津市には日本史に残る大事件「太閤 豊臣秀吉による朝鮮出兵(1592年)」の前線基地となった大舞台「名護屋城」があります。

 名護屋城※こっちの記事も見てね

 この朝鮮出兵は、663年に日本が新羅・唐へ侵攻し大敗北した白村江の戦い以来となる930年振りの対外侵攻の戦でした。

 足軽から身を起こし、天下統一(日本)を成し遂げた豊臣秀吉公は、約100年の戦国時代で鍛えられた武士団を率い出兵しており勝利を確信していたと云われております。

 本日訪れた『法光寺』は、渡海せず「名護屋城」から指揮を取っていた為、暇を持て余した太閤 秀吉が戯れで遊んだと云われる寺院と云われており、その痕跡を今でも見る事が出来る貴重な寺院となっておりました。

 見どころと共に、魅力をお伝えできればと思います。




名護屋城
 本日の「法光寺」は、名護屋城にほぼほぼ隣接しており案内板にある『太閤お手植えの八重桜』の看板を観て序に訪れる方が殆どではないでしょうか。

 ちなみに、城好きな方には有名な話ですが『名護屋城』自体は、豊臣秀吉が亡くなった後に起きた関ヶ原合戦後直ぐには廃城となり、近隣に築城された唐津城の資材の一部とされてしまっております。

 なので、江戸時代には古城として管理されており、今見える石垣は唯一に残った城の痕跡です。

 (それでも十分に見ごたえがあります。)




▼法光寺

名護屋城『法光寺』
 名護屋城から徒歩3分の『法光寺』に到着しました。

 この寺院は、秀吉が文禄の役によって朝鮮出兵を行うよりも約30年程前の1560年頃に建立されたと伝わります。

 その年代を観てみると木下藤吉郎(豊臣秀吉)が織田信長に仕えた頃と云われております。

 歴史を逆さまにみて面白いのは、まさか30年後に日本を統一し、最高権力者となるとは誰もが思っていなかったであろうという点です。

 この寺院は、元々は名護屋城大手門の南側にありましたが、文禄の役の際に太閤秀吉により「これから戦に行くのに街道沿いに寺があっては不吉」との命により、現在ある城の北側に移されました。




▼太閤お手植えの桜

桜
 境内に入って直ぐ左手には2代目となりますが『太閤お手植えの桜』が植わっております。

 ※初代の桜は、昭和40年代に枯れてしまっております。(てことは、太閤がお手植えした桜じゃない・・・)

 この桜は、寺を戦の為に移築した際に太閤秀吉よりお詫びとして、馬2頭米50石を送られると同時に、伊達正宗に命じ、塩釜(宮城県)より2本の桜の木を持参させ、秀吉自ら植えたものと伝わります。

地蔵
 桜の木を通り抜けると少々立派な「地蔵堂」があります。 こちらには、江戸時代に造られたお地蔵様が祀られております。

名護屋城『法光寺』
 境内の奥には本尊に延命地蔵菩薩が祀られる「本堂」があります。

庭
 そして、本堂横にある庭園は、豊臣秀吉の家臣で御伽衆として仕えたといわれる曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)が秀吉の命にて造ったと云われております。

 「えっ、曽呂利新左衛門って誰??」となりますよね。

 この人は、武人でありながらもユーモラスな頓知で秀吉を笑わせた逸話を残し、落語家の始祖とも言われている人物です。




▼さいごに

 以上で、朝鮮出兵前に太閤自らお手植えした桜が残る名護屋城『法光寺』のご案内となります。

 この寺院単体では見学に行くには辛いですが、名護屋城を観た後には是非とも訪れたい場所となっております。

 皆様も訪れてみては如何でしょうか。

 ご精読ありがとうございました。

 ※ちなみに、よく勘違いされますが『護屋城』は、愛知県名古屋市の「名古屋城」とは別物ですよ!!




▼アクセス

 住所:〒847-0401 佐賀県唐津市鎮西町名護屋4092

▼最寄りの宿

HOTEL AZ 佐賀伊万里店

国道498号線大坪バイパス沿い。JR伊万里駅よりお車にで5分。コンビニ隣接で便利!!
848-0021
佐賀県伊万里市大坪町甲2350-83

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