成田空港側にある不思議な仏塔、日本山妙法寺『成田佛舎利塔』へ潜入調査!

成田平和佛舎利塔

 成田空港の側に真新しい「仏塔」があるのを御存じでしょうか?
 私は、「航空科学博物館」に行った際、展望レストランから眼下に見えた、この「仏塔」が気になり調べてみました。 
 すると、他の方も気になっているらしく、だったら末永くアクセスしてもらえそうだ!と記事にするためにやってきました!




道沿いから見える仏像

この仏塔に近づいてくると、道沿いに金色?の仏像が鎮座しておりました。 これは、日本では見慣れないものですので、インドとかそっちのデザインですね。

山門

 寺院の山門にあたる入り口にやってきました。 
 門扉には「日本山妙法寺」と表札が掲げられておりました。 なんとなく、新興宗教の臭いがプンプンとしておりますね。
 以前に、寺院で無断で撮影していた所、お叱りを頂いたことがあるので、作業をされていた僧侶?の方に了承を頂き、撮影を開始いたします。




成田平和佛舎利塔

 入り口から20m程歩き、「仏塔」の前にやってきました。 
 この寺院は、日本山妙法寺開祖「藤井日達聖人(明治18年~昭和60年)」が、仏教・お釈迦様の第一の教え、「ものの命を奪わない」を現代社会に広める為、佛舎利塔(お釈迦様の真身舎利・御遺骨を法安)を全世界に建てる誓願を立て、宗教・宗派を超えて世界恒久平和と絶対非暴力を祈念すべく、熊本県花岡山の第一塔(昭和29年)を初めとして日本国内及びインド・スリランカ・ネパール・英国・オーストラリア・イタリア・アメリカの諸国に現在75基が建立され、その内の一つとの事です。(案内板そのまま)

正面

 成田佛舎利塔

 この『成田佛舎利塔』は、平和・非暴力を掲げる「日本山妙法寺」によって、建てられた仏塔ですが、非常に血生臭い歴史を持っております。
 「日本山妙法寺」は、「成田国際空港(旧新東京国際空港)」の建設に反対する建設反対運動に参加しました。
 この頃(1960年代)の日本は、過激派と呼ばれる日本赤軍等のテロリストが大量に生まれた学生運動が盛んな時代で、そういった時代背景が後押しをし、地元住民反対派及び、新左翼活動家共に「三里塚闘争(成田闘争)」と呼ばれる闘争に参加して行きました。
 その様な中、妙法寺の僧によって反対運動のシンボルとして「平和の塔(成田佛舎利塔)」を建設することを発案し、無断で4000メートル滑走路の建設予定地に、この仏塔を建設しました。
 この塔が建った事により、開港する事が出来ても、計器着陸装置が使えなくなるど空港運営全体に支障を来す事態となります。
 当然、国も撤去しようとしましたが、「平和の塔を代執行で壊すなら、自分の体に電線を巻き付け、抗議の電気自殺をする」と公言する僧侶もいた事から、膠着する事となってしまいました。
 しかし、その間にも国は空港建設を進め、大半の工事が完了した時に、空港公団総裁から日本山妙法寺の開祖である藤井日達聖人へ親書を出し、その後の話し合いの下、塔の移転に同意し、サイズを小さくして移転して建てられたのが現在の『成田佛舎利塔』です。




横

 この塔へは、土足では上がれないですが、置かれたスリッパを履く事で塔の側面4箇所に配置された仏像を近くに観る事が出来ます。

後ろ

 日本で一般的にみられる仏像の造りではなく、本場インドや東南アジアで造られる様な顔をした仏像が配置されております。 気になるのが、よくよく見ると、所々荒い所が有ります。

横

 最初、これらの仏像にどのような繋がりがあるのだろう?と不思議に思ってましたが。 釈迦の涅槃像で分かりました。 この四面に配置された仏像は、釈迦の一生を表しているのが分かりますね。 つまり、この写真の一つ上の写真が、悟りを開いた所で、更に上の写真が釈迦が生まれた時に天を指しながら言ったとされる「天上天下唯我独尊」のシーンです。

非暴力

 非暴力の文字の後ろで、今も何やら建設が進んでいると思われます。 多分ですが、立派な本堂が無いので、それを作っているんだと思います。 時々訪れて、経過を見ていきたいと思います!




▼さいごに

道沿いの大仏

 以上で、成田空港の側にある不思議な仏塔『成田佛舎利塔』の御案内となります。
 一見怪しく見える寺院ですが、宗教・宗派問わずと掲げられる寺院ですので、誰でも訪れる事が出来る場所となっており、新興宗教特有の排他的な雰囲気はありませんでした。 
皆様も訪れてみては??如何でしょうか。 御精読有難うございました。
追伸.最初にご覧いただいた道沿いから見える金色?の仏像はプラスチック製?のハリボテの仏像で、以前に台湾で観た仏像を彷彿させました。




▼アクセス

住所:千葉県成田市東三里塚214−2