日露戦争を勝利に導いた世界三大記念艦の一つ『戦艦三笠』へ潜入調査!!

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戦艦三笠

神奈川県横須賀市の三笠公園内に展示される『戦艦三笠』へ乗船してきました! この戦艦は、日露戦争中に起きた日本海海戦を勝利に導いた艦として、世界三大記念艦の一つに選ばれております。 幕末に欧米各国と結ばれた不平等条約解消のきっかけとなり、日本を五大国の一つに押し上げる事に貢献したとされる「三笠」の今の姿を歴史と共に、御案内致します!




三笠公園

三笠公園に入って直ぐ正面に、日本を代表する提督の「東郷平八郎」の銅像が迎えてくれます。

▼外観

戦艦三笠

記念艦三笠の由来

では、本日訪れた「戦艦三笠」について、置かれていた看板を元に先に御案内致します。
 戦艦三笠は、明治37年(1904)2月に始まった日露戦争において、東郷大将が率いる連合艦隊の旗艦として、終始敵の集中砲火の中で奮戦し、同年8月10日の黄海海戦では露国東洋艦隊に大打撃を与え、遂に明治38年(1905)5月27日の日本海海戦では、遠来のバルチック艦隊を全滅させる偉功をたてた日本海軍の代表的な軍艦であります。
 日本海海戦の大勝利は、世界史の流れを大きく変えたと言われますが、この偉業を成し遂げた日本民族の誇りと自信を新たにするとともに、その栄光を永く後世に伝えるために、その「シンボル」として、三笠は大正15年(1926)以来収蔵する多数の記念品とともに、ここ白浜海岸に保存され、多くの人に親しまれてきました。

ハリネズミ

この「三笠」は、1890年代中頃から建造が始まった戦艦の初期の形態で、世界で唯一現存する「前弩級戦艦(ぜんどきゅうせんかん)」として貴重です。
【艦情報】
排水量 15,140t
全長 122m
幅 23m
軸馬力 15,000HP
速力18ノット
砲 30㎝×4
  15㎝×14
  8㎝×20
発射管 45㎝×4

艦尾

三笠は、関東大震災により岸壁に衝突し、その傷が元で沈没してしまいました。 その後は、廃艦し解体され鉄くずとなる予定でしたが、国民から愛された「三笠」に対する保存運動が勃興し、ワシントン条約に基づき現役に復帰できない状態にすることで、保存されることになりました。 その為「三笠」は、船首を皇居に向け、船体の外周部に大量の砂が投入されるとともに、下甲板にコンクリートが注入され、建造物として今日に至ります。




▼甲板

入場券

「三笠」艦内へは、一般:入場料600円、シニア(※満65歳以上):500円、高校生:300円、中学生以下:無料 で入る事が出来ます。
ちなみに、「猿島」への入園チケットを持っていると一般は500円で入場出来ます。

甲板

甲板に上がると、旭日旗が海風になびいておりました。

無線室

早速、艦内の散策すると、最初に目に入ったのが「無線室」です。 ここで余談ですが、歴史の転換点には「情報」という重要なキーワードが有ります。 戦国時代には、信長も情報というものを大事にしたからこそ、天下布武に進む事が出来た云われておりますが、旧日本海軍も日露戦争では情報を最重要視しており、この「無線」というものが非常に大事な存在となりました。

三六式無線電信機

三六式無線電信機

日本海軍はマルコニーが発明した無線電信に着目し、実用化のため無線電信調査委員会を設けて研究開発に努め、明治36年(1903)に三六式無線電信機を完成させました。
三六式無線電信機は、突貫工事により日露戦争が始まるまでに全艦艇、監視所、陸上司令部などに装備され、連合艦隊の円滑な指揮運用、迅速な情報の収集・配布が可能になりました。 なお、この電信機の通信距離は80海里(約15㎞)でした。

甲板

ウッドデッキが広がる甲板内は、非常に広いです! 今でこそ、観光地となった「三笠」ですが、約100年前には軍人が規律正しく軍務を全うする厳粛な場だったのです。

8㎝砲台

また、甲板には12听(ポンド)砲が20門並べられております。 この大砲は、実際に触る事ができ、砲員気分で目標を狙えます(もちろん弾は出ません。) 実際の戦闘では、砲員4名で運用されており、弾丸重量は5.4㎏もありました。

主砲

三笠主砲

三笠の主砲30㎝砲弾は重量400キロ、最大射程10㎞でした。 砲弾には爆発力の激しい大量の下瀬火薬が装填され、起爆装置には安全でしかも鋭敏な伊集院信管が弾底に付けられていました。

人海戦術

今の戦艦は、全て全自動で給弾されますが、オートメーションなんて言葉すら無かった100年前には人海戦術で給弾しておりました。 肉労そのものですが、こういったマンパワーに支えられたことで、日本は日露開戦に勝利する事が出来ました。 




▼艦内

艦内

甲板の散策後、階段を降り居住スペースである艦内の見学に向かいます。

部屋部屋部屋

艦内は、現在の船とも遜色ないシステマチックに造られていました。 これが100年前に造られていたとは驚きです。

資料館

また、「東郷平八郎」に関する物を中心に、貴重な「三笠」の資料が展示されています。

秋山真之

秋山真之

「東郷平八郎」をよく補佐した幕僚の「秋山真之」に関する資料も展示されておりました。 どの様な人物かを案内板をそのまま記載すると、「秋山真之」は、明治元年(1868)に愛媛松山に生まれる。 明治23年(1890)7月に海軍兵学校を首席で卒業、アメリカに留学して海軍戦略・戦術を学び、観戦武官として米西戦争(アメリカvsスペイン)を研究しました。 日露戦争では連合艦隊作戦主任参謀となり、日本海海戦ではバルチック艦隊を7段構えの作戦により撃破し、歴史的な圧倒的な勝利を収めました。 「天気晴朗ナレドモ波高シ」の電文や「連合艦隊解散の辞」は名文として知られていますが、これらは秋山真之が起案したものです。

「三笠」の艦首飾り

「三笠」の艦首飾り

イギリス海軍の呼称Royal Navyに倣い、日本海軍は明治31年(1898)6月に巡洋艦以上の軍艦に「皇室の御紋章である菊花紋」を艦首につけるよう定め、帝国海軍(Imperial Japanese Navy)と呼称しました。 この紋章は、竣功から昭和62年(1987)まで「三笠」艦首に取り付けられていたものです。

長官寝室

長官寝室

 東郷司令長官の寝室です。 前部のドアは長官浴室兼厠に、また後部のドアは長官公室に通じています。

長官浴室兼厠

写真は、「東郷平八郎」が使ったトイレ・シャワールームです。 当然、一般の兵卒にはあてがわれる事が無かったプライベート空間で、当時としては画期的だったのかもしれないですが、現在の感覚でみると非常に狭いです。

追悼室

追悼室

長官室の側には「追悼室」があります。
読んで字のごとく、船内で亡くなった方を一時安置する為の部屋です。 室内には、実際に安置された方々の名前が記載されたプレートが置かれております。 こういった忌むべき部屋は、隠されそうですが、長官室の側にあります。

長官公室

長官公室は、連合艦隊の各司令官や艦長との作戦会議、内外の来賓の応接などに使われ、また、公式の午餐会や晩餐会を行う場でもありました。 なお、日本海海戦におけるネポガトフ少将の降伏申し入れはこの部屋で行われました。

長官公室

「長官公室」の奥にも小部屋があり、ここには明治天皇の御真影が飾られる特別な部屋です。

三笠神社

三笠神社

日本の軍艦には伊勢の大麻を受けて天照大神を艦内の神社に奉斎し、艦名を冠して、その艦の武運を念じ、また乗員に修行の糧とする風習がありました。 三笠神社は、幸運や勝利が長く続くことを祈願して、設けられました。

食堂

士官食堂

この大広間の様な場所は、下士官達が食事をとる「士官食堂」です。 海軍は、英国式の軍隊であった為、洋食等も出されました。 田舎から出てきた兵卒達を驚かせたとの事です。

 




▼艦橋

艦橋

艦橋に上がってきました。 この船の最も高い場所です。 艦橋は、艦長などが操艦や戦闘の指揮をするところであり、操舵輪、羅針儀、速力指示器などが置かれています。 操舵輪と羅針儀は日露戦争当時装備されていた実物です。

艦橋デッキ

日露戦争当時、砲弾が飛び交う中、この艦橋デッキに東郷司令長官は達指揮を振るったと云われております。

測距儀

軍用測距儀

この艦橋デッキに置かれる「軍用測距儀(レンジファインダー)」は、砲弾を目標に命中させる計測をする為の計器です。 これもベタベタと触る事が出来ます!

東郷平八郎が見た風景

東郷平八郎が見た船の風景です。

Z旗

Z旗

旗流信号では、旗の組み合わせにより、いろいろの意味をもたせますが、一般に重要な信号には一旗だけを使います。 マストに掲っている信号旗はアルファベットの最後の字であるZを表示しており、普通Z旗と呼ばれています。 
日本海海戦の時、三笠はこのZ旗をマストに掲げて「皇国の興廃この一戦にあり 各員一層、奮闘努力せよ」との東郷司令長官の号令を全軍に伝えて奮戦し、遂にこの海戦で大勝利を収める事が出来ました。 その後、この故事に因んで難事を打開する場合に、「Z旗を掲げる」という慣用語ができ、またZ旗が「大成功を期する旗印」として使われるようになりました。




▼さいごに

記念撮影

以上で、『戦艦三笠』の御案内となります。 この艦は、英国生まれでありながら、日本人の心、大和魂を体現するシンボルとなっておりました。 皆様も日露戦争で日本に勝利を齎し、第二次大戦時には陸に固定され敗戦を見届けた、そんな歴史に触れに訪れては如何でしょうか。 御精読有難うございました。




▼アクセス

御土産屋

住所:神奈川県横須賀市稲岡町82−19




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