豊臣秀次が築いた近江八幡市にある水郷の町『八幡堀』散策に行ってみた!
滋賀県近江八幡市の『八幡堀』へ、水郷散策にやってきました!
ここ近江八幡市は、関白 豊臣秀吉の甥である豊臣秀次が、天正十三年(1585)に四国征伐での軍功に対し43万石を与えられ、近江国八幡山に城を築き城下町を開町した事に始まる町です。
そして、御案内する『八幡堀』は、水運を整える為に琵琶湖畔を埋め立て、八幡山周囲に掘った全長6キロに及ぶ巨大な水路です。
ここの水運は、江戸時代には近江商人による町の発展に大きな役割を果たし、現代では当時の面影を残す重要な観光地となっております。 そんな『八幡堀』をご案内致します!
▼八幡掘
先に述べた通り『八幡掘』は、豊臣秀次が八幡開町と同時に城の防備と、琵琶湖を往来する商船を八幡に寄港させるため、堀の東西を琵琶湖につなぎ造られた水路です。
しかしながら秀次は、歴史の授業を学んだ方なら御存じの通り、晩年まで子供の居なかった秀吉の跡取りとなるべく、養子となり豊臣氏二代関白とまでなりますが、秀吉に子供が出来ると邪魔になり、強制的に出家させられ切腹させられます。
この町は、秀次の死後も近江商人よって繁栄し、瓦等の地場産業の発展にも大きな役割を果たす事になります。
現在にも残る堀に沿って続く白壁の土蔵や旧家が賑やかだった往時の隆盛を物語り、時代劇のロケ地としても活用されております。
▼水郷めぐり
『八幡堀』は、船で『水郷めぐり』をする事が出来る人気のアクティビティが有ります。
コースは、所要時間35分の「八幡堀乗船場→日牟禮八幡宮→新町浜→赤煉瓦工場跡」往復で、大人:1,000円/子供:500円(小学生未満無料)で参加する事が出来ます!!
乗り場:近江八幡市多賀町743
電話:0748-33-5020
▼薬師町
この八幡の町が開町される以前には、水辺からあげたという薬師如来を本尊としていた東照寺があったそうで、当時の名残を残した地名が付けられております。
ちなみに東照寺は、八幡の開町後、隣接する多賀町に移っています。
古い街並みの中には、薬師如来を祀る小さな祠が、あちらこちらに有り未だ残る当時の面影を観る事が出来ます。
▼鉄炮町
また、「八幡堀」沿いを歩いていると「鉄炮町」と名付けられた地名も見られました。
これは、ココが城下町時代に鉄砲を製造した工業地で、堀の内部に設けられた唯一の町名です。
安土城下にも鉄砲を製造する業者がいた(信長公記)ので、彼らが移された可能性が大きく、鉄砲鍛冶を戦略上から主に武家屋敷地であった八幡堀内においたと考えられています。
▼中心部
▼幸福稲荷神社
この近江八幡という古い町には、多くの神社仏閣が有りますが、小さいながら目立つこの「稲荷神社」は、正式名称を『幸福稲荷神社』と言います。
近江商人発祥の地という事もあり、小さいながらも商売繁盛のこの神様には多くの奉納がされておりました。
水郷沿いを歩いていると、中心部には蔵や古い建物が見られるエリアに出てきました! この場所は、近江八幡の中でも有数の撮影スポットになっており、多くの観光客が訪れておりました。
水郷沿いは、風が抜け非常に気持ちが良いです。
▼白雲橋
「日牟禮八幡宮」と「白雲館」を結ぶ『白雲橋』の下からの写真です。 ここに居ると、水郷めぐりをしている船が多数通るので、撮影スポットになっております。
▼白雲館
水辺から少し離れ、地上?の観光に向かいます。 「白雲橋」横の石段を登ると、眼前に『白雲館』があります。
この白雲館は、明治10年(1877)に八幡東学校として建築された貴重な建造物で、八幡商人や地域住民の人々の熱意と協力で当時6千円(米一俵が1円34銭)の費用をかけて建設されました。 明治10年の児童数は男115人、女117人、計232人と記されています。 学校として使用された後は、役場、郡役所、信用金庫等を経て、平成6年に建設当時の姿に復元されました。 白雲館という名称は、藤原不比等の和歌 「天降る 神の誕生の 八幡かも 比牟礼の杜に なびく白雲」から名付けられた説や鎌倉時代の臨済宗の僧:白雲彗暁の徳を偲んだことによる説などがあります。
と書いておりました! ちなみに、入館無料で入る事が出来ます。
▼日牟禮八幡宮
「白雲館」の反対側には、『日牟禮八幡宮』が有ります。
この神社は、131年に、成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが創建とされる由緒ある古社で、約550年後の691年には、藤原不比等が参拝し、詠んだ和歌「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」に因んで比牟禮社と改められたと云われております。
創建以来、近江の人々の信仰を篤く受け、近江商人が力を付けだす江戸時代には、近江八幡の守護神として崇敬を集める様になりました。
▼千成亭
写真でみるとあっさりですが、「八幡堀」散策や、「日牟禮八幡宮」の参拝で2時間近く歩き続けたので、近江牛を手軽に堪能出来る「千成亭」さんで少し休憩します。
飛騨に行った時にも、似たようなお店がありましたが、このお店では、『近江牛にぎり』(とろ 2貫 900円 / 赤身 2貫 600円)が立ち食いで頂くことが出来ます! 写真は、奮発して「とろ」を頂きました! 炙った近江牛は、ちょっと焼き過ぎな感は有りましたが、美味しかったです!
また、「近江牛コロッケ:100円」、「近江牛プレミアムコロッケ:250円」、「近江牛メンチカツ:300円」で、買い食いする事が出来ます! 写真は、これまた奮発して近江牛メンチカツです!
お店の裏には、水郷沿いにベンチが置かれており、お店で購入したコロッケとにぎりを頂く事が出来ます!
休憩後、メイン通りである「大杉町通り」を歩いて、旧商家が並ぶ「新町通り」を目指して歩きます! この町には、古い家屋が多く残されております。
▼近江兄弟社発祥の場所『創の家(はじめのいえ)』
途中には、軟膏薬で知られるメンタームを作っている「近江兄弟社」の本社がありました。 ここが、近江兄弟社の発祥の地とされる場所で、社名の由来は、てっきり近江さんという兄弟で造った会社だとばかり思っておりましたが、創業者であるヴォーリズの愛した「近江」の地名と、クリスチャン精神に基づき目的に向かって心を一つにする仲間という意味を持った「兄弟」を合わせて命名された会社だそうです。 下に、前に置かれた看板をそのまま記載します。
1905年(明治38年)2月2日に来日したW・M・ヴォーリズ(24歳)は滋賀県立商業学校(現八幡商業高等学校)の英語教師に就きこの場所で日本の生活を始めました。 放課後には、自宅を開放して「バイブルクラス」を開き、多くの学生をキリストに導きました。 ヴォーリズの親しみやすい人柄とと純粋な心に魅せられて、彼の周りには多くの青年が集い”「神の国」の理想郷”づくりについて語り合い町づくりに邁進していったのです。 建築事業・結核療養所開設・製薬事業・教育事業や教会設立などの「夢」がこの場所から始まりました。
W・M・ヴォーリズ
▼商家の街並み
「新町通り」に到着しました。 ここでは、古い商家が並ぶ街並みを観る事が出来ます。
ここの一角自体はそれ程広くないですが、全体を通して見学した場合、結構な時間を要します。 本当に、見どころが多い場所です!
▼寶積寺
商家の街並みを見学後、戻る途中に見つけた小さな寺院『寶積寺』です。 町に溶け込む様にあったこの寺院ですが、江戸時代には朝鮮通信使の来訪時にも用いられた寺院で、歴史を持つ寺院であった事を置かれた案内板で知る事が出来ました。 歴史好きな私には面白かったので、案内板に記載された内容を下記に記載してみました。 お時間があれば、読んでみて下さい!
西誉覚祐上人天正七年(1579)の安土宗論後浄土宗に改宗、同十四年五月現地に移轉(移転)した。七代相誉博龍上人、堂宇朽損を概き再興を志し、享保六年(1721)二月に完成す。 數次(すうじ/数回の意)の修理は経ているが、現存の堂宇は當時(当時)のものである。 朝鮮通信使の往還にともなう対応については正徳元年(1711)十月の第八次の場合寶積寺は長老衆の宿を担当している。 年中行事として修正会・涅槃会・彼岸会・御忌・導忌・施餓鬼・十夜また享保時代より常念佛を始め、信者の先祖菩提のため、勤行している
▼瓦の博物館
八幡瓦と八幡の歴史をテーマにした博物館です。 ファミリーで訪れた際には、是非とも訪れたい場所です。
▼さいごに
以上で、近江八幡市にある水郷の町『八幡堀』散策のご案内となります。 丸一日かけて遊びたいこの町には、見どころが沢山ありました。 秀次が残し、近江商人が発展させた近江八幡市に遊びに来ては如何でしょうか。 御精読有難うございました。
▼アクセス
住所:滋賀県近江八幡市大杉町
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