江戸時代の五街道の一つ「中山道」の宿場町『奈良井宿』へ潜入調査!
長野県塩尻市にある「中山道(なかせんどう)」の宿場町『奈良井宿(ならいじゅく)』へやってきました!! この宿場町には、今では時代劇でしか見れないような街並みが残されており、タイムスリップしてきたかの様に思えました。 江戸時代には、多くの旅人で賑わった『奈良井宿』の魅力を探ってみたいと思います。
▼「中山道」とは!?
「中山道」は、江戸時代に整備された五街道の一つで、内陸経由で日本橋(江戸)と三条大橋(京都)を結ぶ街道です。 この道が整備をされたのは、江戸時代に入ってからですが、それ以前からも使われており、関ヶ原の戦いへ向かう徳川秀忠の軍勢が通った事でも知られております。(真田幸村の父・昌幸の老練な戦いの為、徳川秀忠は間に合わなかった事件がありました。)
また、険阻な山々を越えるルートで難所も多く、冬には降雪地帯となる箇所も通る為、街道沿いには69を超える沢山の宿場町が作られ、それらは「中山道六十九次(なかせんどうろくじゅうきゅうつぎ)」と云われております。 「中山道」と同様に江戸-京都間を結ぶ道で、太平洋側の海沿いを通る「東海道」は、日本の近代化に伴い、鉄道開発、道路工事等が顕著に行われた為、古くからあるものを多数失いましたが、開発が遅れた「中山道」には、多くの宿場町と共に、古くから伝わるものが多く残されており、古き良き日本の風景を垣間見る事が出来ます。
▼奈良井宿とは!?
『奈良井宿』は、「中山道六十九次」の34番目の宿場町で、約1キロメートルに渡って古い町並みが残されております。 近くにある「鳥居峠」という難所を控えた場所に有る為、江戸時代には、これから「鳥居峠」を越える旅人、越えてきた旅人の休息地として繁盛し、その賑いぶりから「奈良井千軒」とも呼ばれておりました。 現在は重要伝統的建造物群保存地区として、当時の町並みが保存されております。
≪町の構成≫
奈良井川の川沿いに建ち並ぶ町屋は、京都側から上町、中町、下町で構成されております。
≪御土産≫
中山道でも木曽路と呼ばれる、長野県エリア全体の宿場町では、木工業が江戸時代より盛んで、漆器、曲げ物などが御土産として人気があります。
≪おやき≫
長野県に来たら食べ歩きたい「おやき」は、元々は冬季における米の代用食として食べられていた饅頭の様なものです。
饅頭の様なものというと甘いものを想像しますが「おやき」は、どちらかというと豚まんの様なお惣菜で、中にはキンピラ、高菜炒め等が入っているものもあるので、甘いものが苦手な人におススメな逸品です!
ちなみにご注意点が、見た目の割にお腹に溜まりやすい点です。 旨そう!と思い一人で3つも、4つも買うとお腹いっぱいで食べれなくなりますよ!
≪茶房こでまり≫
「奈良井宿」散策で足が疲れたら休憩に訪れたいのが、手造りスイーツと漆器の店『茶房こでまり』さんです。 代々漆器工房として営んできたお店ですが、工房にきた客に出していたスイーツが好評だったので、スイーツも出されるようになりました。 自慢漆器に乗せて提供されるスイーツは、器と共に可愛く目と舌で楽しむ事が出来ます。
≪鎮神社≫
奈良井宿を鎮守する『鎮神社』の創建は、平安時代末期頃(1150-1192年)に、「木曽義仲」を庇護したと云われる中原兼造が鳥居峠に建立したと云われておりますが、創建時の社号や祭神は分かっておりません。 建立から400年程経た戦国時代の天正十年(1582年)に、この地を納めていた武田一門衆の木曾義昌が、武田を裏切り織田信長と盟約を結ぶと、武田勝頼が侵攻してきた為、『鎮神社』を含む奈良井宿一帯は、甚大な被害を受ける事となりました。 この戦いは、木曾義昌が守り切る事が出来た為、戦後に一族で奈良井城主である奈良井義高が『鎮神社』を現在の地である奈良井宿の西端に遷座し社殿の再建と境内の整備を行ったと云われております。
その後の江戸時代の元和四年(1618年)に奈良井宿周辺で「すくみ」と呼ばれる疫病が流行しました。 この疫病を鎮める為に「卜部朝臣兼英卿」が占った結果、千葉の香取市にある「香取神宮」の主神「経津主命」を信仰するようにとの御告げが出た為、それ以来「経津主命」を祭り、社名を『鎮神社』と呼ばれるようになりました。 現在観られる本殿は、寛文四年(1164年)に再建されました。
≪鍵の手≫
奈良井宿の町を分断する2つの「鍵の手」と云われる場所には、水場や庚申塔等が置かれております。 この「鍵の手」とは、この地が「戦」の舞台となった場合、全てが一気に侵攻される事の無いように、作られた構造の事です。 普段は開放されておりますが、戦となった場合「鍵の手」と云われる場所には、柵が設けられ関所の様になったと云われております。
≪水場≫
「奈良井宿」には、あちらこちらに計6ヵ所の水場があります。 この水場は、当時の人々の炊事洗濯等に使われていたものとなりますが、火事が起きた際には延焼を防ぐ目的も持たされておりました。
≪二百地蔵≫
地蔵堂の前に沢山の地蔵が並べられる異様なこの場所は『二百地蔵』と云われております。 なにやら呪われそうな感じですが、これは、明治時代に中山道の開発にあたり国道開削、鉄道敷設する中、「奈良井宿」周辺に置かれていた御地蔵様をこの場所に持ってきた為となります。
≪さいごに≫
以上で、「中山道」の宿場町『奈良井宿』の御案内となります。 この宿場町は、今では非常に少ないサムライが居た時代の風景が残る素敵な場所でした。 皆様も遊びに来ては如何でしょうか。 御精読有難うございました。
▼アクセス
電車:JR東海中央本線「奈良井駅」下車
車 :長野道塩尻ICよりR19経由、名古屋方面へ30分。
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