門前町も楽しい鎌倉時代創建の日蓮宗の大本山『法華経寺』へ潜入調査!!

法華経寺

千葉県市川市にある日蓮宗の大本山『法華経寺(ほけきょうじ)』にやってきました!! 千葉で門前町が形成される寺院と言えば、「成田山新勝寺」が真っ先に出てくるかと思われますが、ココ『法華経寺』は、規模こそ負けるものの、都内からのアクセスの良さ(東京から30分)と、境内の見応えでは勝るとも劣らない寺院です。 日蓮宗に帰依されている方以外では、地元の方以外では余りしられておりませんが、門前町での食べ歩き等も楽しい『法華経寺』を御案内します!!




▼総門(黒門)

総門(黒門)

「中山法華経寺」に向かう道中の最初に通るこの門は、正確な創建年は不明ですが、江戸時代初期頃に建立された「総門」と言います。 全体が黒塗り造りとなっている為、「黒門」とも呼ばれております。 この門に掛けられる扁額は、徳川よりも前に江戸城を築城した太田道灌の子孫で、遠江掛川藩主である太田資順によるものです。 扁額には読みづらいですが、「如来滅後 閣浮堤内 本化菩薩 初轉法輪 法華道場」と書かれております。 建立より幾度も修理を行われており、平成二十一年にも修理・補修が施され、安全の為に土台はコンクリート造りとなりました。

≪門前町≫

JR下総中山駅から徒歩で10分の距離にある「法華経寺」へは、「黒門」、「赤門」を経て境内に入ります。 この道には古くからの門前町が形成されており、参拝客や地元の住民達が昔ながらの街並みを楽しんでおります。

▼仁王門(赤門)

仁王門(赤門)

正確な創建年は不明ですが、江戸時代初期頃に建立され大正十五年の第118世日修上人の代に再建された「仁王門(赤門)」には、室町時代から江戸時代にかけて活躍した刀剣鑑定家で書家の「本阿弥光悦」が揮毫した扁額「正中山」が掛けられております。

≪日蓮聖人とは!?≫

日蓮聖人とは!?

赤門前には、日蓮宗の宗祖「御祖師さま」像が置かれております。 「御祖師さま」とは、『日蓮大聖人』を指しております。 ここで、簡単に「日蓮大聖人」についてお話します。

鎌倉時代の貞応元年(1222年)に安房国(現在の千葉県鴨川市)に生まれた「日蓮」は、清澄寺へ入門・出家し、その後、比叡山、三井寺、薬師寺、仁和寺、高野山、天王寺、東寺へと遊学を重ね、修行を積み、清澄寺へ帰山後に立教開宗と云われる日の出に向かい「南無妙法蓮華経」と題目を唱えました。 一つの悟りを得た日蓮は、政治の中枢となっていた鎌倉にて辻説法を行い、布教を開始します。 その布教では、それまで権力下にあった日本仏教界で、「日蓮」は、人々は権力の下に集うのではなく、法(真理)の下に集わなくてはならないと説き、たとえ天皇と言えども、仏法に背けば仏罰が下るものとし、仏教における天皇・幕府の権威を認めない仏法絶対の教えを説きます。 その為、日蓮は布教活動の中で権力側からの様々な迫害を受ける事となりました。 また、当時流行していた浄土宗を邪宗と説き、この国における相次ぐ災害の原因は、邪宗を許し、法華経を信じないからであると云います。 当然、その後には浄土宗を信心する信者からは襲撃され、政治を非難した鎌倉幕府からは島流しや、あわや打ち首の事態にも遭い、それらは後代に法難と呼ばれる事件として伝わります。 現代から見ても過激に思える説法に反発する人々も多くいましたが、共感する人々も徐々に増え晩年には多くの弟子に囲まれて暮らしたと伝わります。 最後は、誕生の地である安房国へ両親の墓参りに向かう途中、池上宗仲邸にて享年61歳で入滅します。 その場所は、現在、日蓮宗の大本山池上本門寺(東京都大田区)となっております。 また、遺骨は自身が開山した身延山久遠寺に安置されております。




≪本堂へと続く道≫

本堂へと続く道

赤門をくぐると、まだ本堂が置かれるエリアまで距離があり、道の両側には小さな寺院が並んでおります。 これから、右→左と順番に見ながら本堂エリアに近づきますが、こんな事してしまった為、異常に時間が掛かってしまいました( ;∀;)

≪池本寺≫

池本寺

池本寺

≪陽雲寺≫

陽雲寺

陽雲寺

陽雲寺

≪遠寿院荒行堂≫

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

遠寿院荒行堂

≪本光堂≫

本光堂

本光堂

≪安世院≫

安世院

安世院

安世院

安世院

安世院

≪高見寺≫

高見寺

高見寺

≪参道≫

参道

ようやく、全て観終わったかぁ~と思い、本堂エリアにこれで行けると思いましたが、未だありました((+_+))

≪廃寺≫

廃寺

崩れそうな石段を6m程登り上に行きます

廃寺

石段の上には、御堂が撤去されており無数の瓦礫が転がっておりました。 その奥には墓地が広がっているのが見えます。




≪蓮行寺≫

蓮行寺

蓮行寺

蓮行寺

蓮行寺

≪お茶屋≫

お茶屋

お茶屋

≪お休み処 額堂≫

本堂エリアに到着するまでに疲れてしまったので「額堂」さんで、回転焼きを頂くことに致しました。

お茶屋

130円の回転焼きを買い店前に置かれる長椅子に座ると、温かいお茶まで頂きました。 たった、130円なのに申し訳なかったです。 この回転焼き、地域、場所によって言い方が異なり、「今川焼」、「甘太郎」、「大判焼き」と言ったりします。 このお店では「太鼓焼き」という名称でした。




▼法華経寺とは!?

法華経寺とは!?

ようやく、本堂等が置かれるエリアにやってきました。 ここから、順番に境内を御案内します。

日蓮上人は、法を解く布教活動の中で権力側からの様々な迫害を受けておりましたが、日蓮の説法に共感を抱く人々も多く、ここ千葉県を嘗て統治していた千葉氏に仕えていた「富木常忍」や「太田乗明」は、管轄していた「八幡荘」に迎え入れ保護しました。 彼らは、自邸に「法華堂」を建立し日蓮の為の安息地を提供します。 弘安五年(1282年)に日蓮が没した後に「富木常忍」は、出家し「法華堂」を「法花寺」と改め初代住持となります。 また、「太田乗明」の子である「日高」は、「乗明」の屋敷を「本妙寺」とし2代目住持となりました。 その後以来住持は、ここの「法花寺」と「本妙寺」の両寺を兼務する事が慣わしとなっておりましたが、250年程経た天文十四年(1545年)に古河公方足利晴氏より「諸法華宗之頂上」という称号が贈られ「法華経寺」という寺名となり、「法花寺」と「本妙寺」の両寺を合わせた一つの寺院になりました。

▼祖師堂

祖師堂

祖師堂

祖師堂

日蓮宗の宗祖日蓮聖人をお祀りする「祖師堂」は、鎌倉時代末期である正中二年(1325年)に創建された御堂で、創建以来幾度と火事で焼失してしまった為、現在建つものは江戸時代中期頃の延宝六年(1678年)に再建されたもので、重要文化財に指定されております。 堂内には、鎌倉時代から室町時代初期にかけて活躍した日法師によって作られた「日蓮聖人像」が安置されております。 また、掛けられる扁額は、室町時代から江戸時代にかけて活躍した刀剣鑑定家で書家の「本阿弥光悦」による筆です。

祖師堂

▼蒋介石胸像

蒋介石胸像

昭和47年の日中共同声明に伴い日台断交となりました。 それを憂い当時の住職が日台友好を願い建立された「蒋介石」の胸像が境内道順に置かれております。

▼五重塔

五重塔

江戸幕府二代将軍・徳川秀忠に仕え、刀剣の目利きを指南した江戸時代の刀剣鑑定家で書家の「本阿弥光室(ほんあみこうしつ)」が先代の刀剣鑑定家で、父である「本阿弥光徳(ほんあみこうとく)」と母の菩提を弔う為に、加賀藩主前田利光からの援助を受けて元和八年(1622年)に建立した五重塔です。 普段あけられる事の無い、塔内部には「木造釈迦如来」、「多宝如来坐像」が祀られているそうです。 国の重要文化財に指定されております。

五重塔




▼銅造釈迦如来坐像(中山大仏)

銅造釈迦如来坐像(中山大仏)

通称「中山大仏」として知られる『銅造釈迦如来坐像』は、江戸時代の享保四年(1719年)に日禪聖人によって建立された建立された大仏です。 数多大仏と称しながら、小さなものが多い中、座高は約350cm、膝張約280cmで作られた3m越えの大きな大仏様です。 この大仏様は、「四海安泰五穀成熟」と「壇門勃興庶民快楽」を祈念し造られたと云われております。

銅造釈迦如来坐像(中山大仏)

銅造釈迦如来坐像(中山大仏)

▼荒行堂

荒行堂

荒行堂

荒行堂

この「荒行堂」の建立時期は、不明ですが恐らく江戸時代初期頃のものと思われます。 名前の通り、この御堂では、選ばれた日蓮宗の僧侶が毎年厳寒が始まる11月1日から翌2月10日までの100日間に渡って非常な苦行を行います。  主な修行は、朝2時に起床し、3時から夜23時まで一日7回寒水で身を清め、読経を行います。 また食事までも行の一つとして、朝夕2回に白粥に梅干し一個というものになってます。 この人権を無視した拷問の様な修行に100日耐えたものは、生まれ変わったような尊い身となると云われております。




▼本院・大客殿・鬼子母神堂

本院・大客殿・鬼子母神堂

境内の一番奥に建つ大きな建物が日蓮聖人御真刻の「鬼子母神」を祀る本院となっております。

本院・大客殿・鬼子母神堂

この本院に入ると、すぐ右手には寺務所があり、お守りや御朱印を頂く事が出来ます。 中に入り、撮影もしたかったのですが、恐らく撮影禁止とされていると思われ、また無言の僧侶が沢山いたので怖気づいて参拝だけしてきました。 ここの造りは、正面部分にある本院と後ろにある「鬼子母神堂」を連結するようになっており、非常に長い廊下は重厚かつ厳かな雰囲気がありました。 こちらに祀られる「鬼子母神」は、江戸三大鬼子母神に数えられ、発展し100万都市となった江戸中から多くの参拝客が訪れたそうです。

▼宝殿門

宝殿門

▼聖教殿

聖教殿

聖教殿

聖教殿

昭和六年に建立された「聖教殿」は、日蓮大聖人の御真筆の書や、「法華経寺」に伝わる重要文化財六十四点を火災、盗難、湿気の害等から守るために造られた宝物殿です。 建立には近代科学を取り入れ作られており、納められる宝物は厳重に保管されております。

▼四足門

境内

四足門

室町時代後期に造られた「四足門」は、施された彫刻から禅宗様式である事が分かります。 元々鎌倉の「愛染堂」にあったものをこの地に移したと云われております。 移設当初は、本院の玄関門となっておりましたが、明治時代に現在の「法華堂」の前に移されました。 国の重要文化財に指定されております。

▼宇賀神堂

宇賀神堂

宇賀神堂

宇賀神堂

『宇賀神堂』は、智恵、幸福、財力の神である「宇賀神」を祀る御堂で、法華経寺守護の「宇賀徳正神」の本社です。 この神様の出自は、不明ですが、日本では、日本神話に登場する「宇迦之御魂神」とインドで創られた「弁才天」との神仏習合の中で創りだされた神と云われております。 この神様は、寺院である「法華経寺」でも祀られますが、主には神社で祀られる事が多いです。




▼法華堂

法華堂

本尊に釈迦多宝両尊像が祀られている法華経寺の本堂「法華堂」は、鎌倉時代の文永年間(1264-1274年)に富木常忍が銭四貫文で創建されたことから「四貫堂」とも呼ばれています。 現在の物は、室町時代後期に再建されたものと云われております。 本堂内には、日蓮大聖人御真刻の「一尊四菩薩像」も安置されております。 この本堂も重要文化財に指定されております。

法華堂

法華堂

▼刹堂

刹堂

ここ『刹堂』の創建年は、不明ですが、「十羅刹女(じゅうらせつにょ)」、「鬼子母尊神(きしぼじん)」、「大黒神」が祀られる御堂です。 この御堂で気になるのが、血生臭い神様を集めた点です。 七福神の一人「大黒神」は、知らずに見るとふくふくしい神様ですが、れっきとした戦闘をつかさどる武神です。 また、「十羅刹女」と「鬼子母尊神」は、元々は沢山の人間を喰らい、人々に害するバケモノでしたが、仏法に接する事で、これまでの行いを改め神となったものです。 人間に置き換えて考えると酒鬼薔薇聖斗こと東慎一郎が仏法に触れ改心し、人々の平穏を祈ると言っても誰も信じないですよね。

▼妙見堂

妙見堂

『妙見堂』には、下総国千葉郡の豪族「千葉家」伝来である国土の守護神「北辰妙見尊星」が祀られております。 「北辰妙見尊星」とは、「星」の文字通り天体の星の事で、天空を回る星々の中心にあり、不動の北極星を神として尊崇された事に始まった信仰です。 始まりは、神として祀られた北極星が、日本に入り仏教の「妙見菩薩」と結びつき、別名では「北辰妙見」とも云われ、今日まで厚く信仰されております。 毎年11月に行われる「酉の市」は、神社で行われるものが有名ですが、ココ『妙見堂』でも仏教ですが、行われております。

▼さいごに

桜

以上で、「中山法華経寺」の御案内となります。 東京近郊では、浅草寺、川崎大師、成田山等が門前町が形成されている寺院として知られておりますが、「法華経寺」も規模こそ小さいですが立派な門前町がある寺院でした! 全てをちゃんと見ると1日がかりで楽しめる当寺に皆様も訪れては如何でしょうか。 御精読ありうございました。




▼アクセス

住所:千葉県市川市中山二丁目10番1号

電車:JR総武線「下総中山駅」下車徒歩7分

電車:京成線「京成中山駅」下車徒歩4分