自らの美しさを憂い自害した美女を祀る『手児奈霊神堂』へ潜入調査!!

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手児奈霊神堂

千葉県市川市真間に伝わる美女「手児奈」を祀る『手児奈霊神堂(てこなれいじんどう)』にやってきました!! 「手児奈」の哀話と共に、「弘法寺」、『手児奈霊神堂』が建立された歴史を見てみたいと思います。




▼「真間の手児奈」の哀話

「真間の手児奈」の哀話

「弘法寺」が建立されるより前の1300年以上昔の話です。 この地に、いつも「真間の井」に水を汲みに行く、粗末な身なりだが、とても美しい「手児奈」という名前の清廉な女性がおりました。 この美しい女性を我が嫁にせんと男共は競い求婚をしますが、「手児奈」は、「私の心はいくつでも分ける事が出来ますが、私の体は一つしかありません。 もし、私が誰かの元に嫁すれば他の方を不幸にしてしまいます。」と悩みます。 悩み続けた「手児奈」は、日没の頃に海に行き、沈む夕日を見ながら「太陽のように」と海に身を投げて自害してしまいます。 これを聞いた人々は悲しみ「手児奈」の霊を弔いました。




真間万葉顕彰碑

真間万葉顕彰碑

入り口の門が横には市川市の市指定重要文化財に指定される「真間万葉顕彰碑」が置かれております。

▼真間の手児奈の哀話

「真間の手児奈」の哀話

本堂へと向かいながら、この『手児奈霊神堂』と近くにある本山「弘法寺」に纏わる「真間の手児奈の哀話」をお話いたします。

真間の手児奈の哀話

「弘法寺」が建立されるより前の1300年以上昔の話です。 この地に、いつも「真間の井」に水を汲みに行く、粗末な身なりだが、とても美しい「手児奈」という名前の清廉な女性がおりました。 

真間の手児奈の哀話

この美しい女性を我が嫁にせんと男共は競い求婚をしますが、「手児奈」は、「私の心はいくつでも分ける事が出来ますが、私の体は一つしかありません。 もし、私が誰かの元に嫁すれば他の方を不幸にしてしまいます。」と悩みます。

真間の手児奈の哀話

悩み続けた「手児奈」は、日没の頃に海に行き、沈む夕日を見ながら「太陽のように」と海に身を投げて自害してしまいます。 これを聞いた人々は悲しみ「手児奈」の霊を弔いました。




▼行基による「弘法寺」の建立

行基による「弘法寺」の建立

奈良時代の僧「行基」が、この地を訪れた際に哀話「真間の手児奈」の話を聞き、天平九年(737年)に、その霊を供養する為に「求法寺(ぐほうじ)」として一宇を建立しました。 以来、100年後に空海(弘法大師)によって、伽羅を構え『弘法寺(ぐほうじ)』と改称し、日蓮による布教を受け「真間問答」と云われるこの問答の結果、日蓮宗へと改宗し、紆余曲折を経て今日に至ります。

▼『手児奈霊神堂』の建立

手児奈霊神堂

元々は、「弘法寺」そのものが「手児奈」の霊を祀る霊堂でしたが、文亀一年(1501年)に弘法寺7世・日与によって『手児奈霊神堂』が建立されました。 以来、「弘法寺」と共に人々の信仰篤く参拝されますが、明治時代に弘法寺の諸堂が火災によって焼失してしまった為、現在の弘法寺の諸堂の中で最も古い寺院となりました。

▼みどころ1

欄間

これから、本堂内に入らせて頂きますが、その前に観たいのは欄間に欠けられた立派な龍の透かし彫りです。 丁寧に掘られた龍は非常に立派です。

本堂内部

では、境内のお坊さんに断りを入れて本堂内部に入らせて頂きます。

▼みどころ2

天井画

御堂は江戸時代の匠の技が随所に見る事が出来ます。 訪れた際には是非とも見て頂きたいのは、天井に描かれた天井画の数々です。 江戸時代に描かれた物ですが、色を残し当時の技巧を垣間見る事が出来ます。

天井画

▼さいごに

天井画

以上で、市川市真間に伝わる美女伝説の地『手児奈霊神堂』の御案内となります。 見事な天井がを観に、皆様も訪れてみては如何でしょうか。 御精読有難うございました。 

※関連して「弘法寺」、「亀井院」もご覧ください。




▼アクセス

住所:千葉県市川市真間4-5-21

電車:東日本旅客鉄道総武本線市川駅から徒歩15分。

  :京成電鉄京成本線国府台駅から徒歩10分。

  :京成電鉄京成本線市川真間駅から徒歩10分。

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