四谷怪談の舞台「於岩稲荷田宮神社」と「於岩稲荷陽運寺」とは!?

江戸時代から四谷怪談で知られる怨霊「お岩さん」に縁ある「於岩稲荷田宮神社」と「於岩稲荷陽運寺」に行ってきました!! 四谷怪談は、夏の風物詩として落語や歌舞伎の演目が行われる日本の怪談でも誰もが知るものですが、ただの創作物という訳でなく元となる人物も居たそうです。 ちなみに、よく勘違いされますが「一枚、二枚、・・・・一枚足りない・・・・」の幽霊は「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」ですので、御間違いなく!! なんとも怖い四谷怪談のあらましと共に、現地を御案内致します。

江戸時代から四谷怪談で知られる怨霊「お岩さん」に縁ある「於岩稲荷田宮神社」と「於岩稲荷陽運寺」に行ってきました!! 四谷怪談は、夏の風物詩として落語や歌舞伎の演目が行われる日本の怪談でも誰もが知るものですが、ただの創作物という訳でなく元となる人物も居たそうです。 ちなみに、よく勘違いされますが「一枚、二枚、・・・・一枚足りない・・・・」の幽霊は「番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)」ですので、御間違いなく!! なんとも怖い四谷怪談のあらましと共に、現地を御案内致します。




四谷怪談は、江戸時代の雑司ヶ谷四谷町(現在の豊島区雑司が谷)が舞台となっており、その場所に行くと「於岩稲荷陽運寺」と「於岩稲荷田宮神社」の2箇所が道を挟んで両側にあり、どちらも「お岩稲荷」と書かれいる為、知らず訪れると不思議に思えます。

四谷怪談は、江戸時代の雑司ヶ谷四谷町(現在の豊島区雑司が谷)が舞台となっており、その場所に行くと「於岩稲荷陽運寺」と「於岩稲荷田宮神社」の2箇所が道を挟んで両側にあり、どちらも「お岩稲荷」と書かれいる為、知らず訪れると不思議に思えます。




於岩稲荷陽運寺

先ずは、「於岩稲荷陽運寺」からご覧頂きたいと思います。

先ずは、「於岩稲荷陽運寺」からご覧頂きたいと思います。




小さい頃に友達とケンカをして目の所に青タンを作った時、近所のおじちゃんに「ええ顔なったな、お岩さん見たいや」と言われ、何だろうと思い祖母に聞いたところ、お岩さんの怪談話をされて怖くて電気を消して寝れなくなったのを思い出しました。 まさか、四半世紀後にその舞台の門をくぐるとは感慨深いです。

小さい頃に友達とケンカをして目の所に青タンを作った時、近所のおじちゃんに「ええ顔なったな、お岩さん見たいや」と言われ、何だろうと思い祖母に聞いたところ、お岩さんの怪談話をされて怖くて電気を消して寝れなくなったのを思い出しました。 まさか、四半世紀後にその舞台の門をくぐるとは感慨深いです。




この「於岩稲荷陽運寺」に来てみて初めてしったのですが、「縁結び」の寺院として有名だそうですが、お岩さんに由来し「縁切り」も叶うそうです。 「縁切り」と言う言葉がインパクトがあり何とも恐ろしげですが、「悪縁」を切るという御利益だそうです。

この「於岩稲荷陽運寺」に来てみて初めてしったのですが、「縁結び」の寺院として有名だそうですが、お岩さんに由来し「縁切り」も叶うそうです。 「縁切り」と言う言葉がインパクトがあり何とも恐ろしげですが、「悪縁」を切るという御利益だそうです。




境内に入ると最初に、狛犬に価する二体のキツネが出迎えてくれます。

境内に入ると最初に、狛犬に価する二体のキツネが出迎えてくれます。




境内はざっくりと60坪程でしょうか!? 一軒家を建てると比較的広めの土地ですが、都内の土地だからでしょうか、有名な寺院としては非常に狭く感じます。 

境内はざっくりと60坪程でしょうか!? 一軒家を建てると比較的広めの土地ですが、都内の土地だからでしょうか、有名な寺院としては非常に狭く感じます。 




当然、狭い敷地ですので入って直ぐに「於岩稲荷」の本殿があります。 「於岩稲荷陽運寺」は、元々は「於岩稲荷田宮神社」が火災により中央区新川に移転した時に、地元の観光名所が無くなり困った地元の有志にて、昭和初期頃に神社跡地に「四谷お岩稲荷保存会」を立ち上げたました。 そして、その本部に「お岩尊」という小祠を祀ったの始まりに創建されたのが現在の日蓮宗の寺院「於岩稲荷陽運寺」となっております。 跡地に創建された為、成り立ちこそ真新しいですが、境内にはこれから御覧頂く「お岩さま縁の井戸」があります。 つまり、筋として古いのは神社の方で、元々縁のある土地の上に建ったのが寺院という事ですね。 この二つは「お岩稲荷」を近所で祀る関係から仲が良いいと思ってしまいますが、どうもそうでは無い様です。 私が直接確認した訳では無いですが他のWEBを観る限り神社側の言い分を要約すると「元々こちらが本家で、向こうは昭和に入り勝手に作った」とあり、寺院側の言い分も要約すると「この辺りは戦争で焼けた為、建てられているものはお互い昭和のものです。 しかし、こちらには縁の井戸がある」と言ってるそうです。 では、何故この様な事になっているのか!?それは、単純に「お岩稲荷」が儲かるかららしいです。 お金って怖いですね・・・・

当然、狭い敷地ですので入って直ぐに「於岩稲荷」の本殿があります。 「於岩稲荷陽運寺」は、元々は「於岩稲荷田宮神社」が火災により中央区新川に移転した時に、地元の観光名所が無くなり困った地元の有志にて、昭和初期頃に神社跡地に「四谷お岩稲荷保存会」を立ち上げたました。 そして、その本部に「お岩尊」という小祠を祀ったの始まりに創建されたのが現在の日蓮宗の寺院「於岩稲荷陽運寺」となっております。 跡地に創建された為、成り立ちこそ真新しいですが、境内にはこれから御覧頂く「お岩さま縁の井戸」があります。 つまり、筋として古いのは神社の方で、元々縁のある土地の上に建ったのが寺院という事ですね。 この二つは「お岩稲荷」を近所で祀る関係から仲が良いいと思ってしまいますが、どうもそうでは無い様です。 私が直接確認した訳では無いですが他のWEBを観る限り神社側の言い分を要約すると「元々こちらが本家で、向こうは昭和に入り勝手に作った」とあり、寺院側の言い分も要約すると「この辺りは戦争で焼けた為、建てられているものはお互い昭和のものです。 しかし、こちらには縁の井戸がある」と言ってるそうです。 では、何故この様な事になっているのか!?それは、単純に「お岩稲荷」が儲かるかららしいです。 お金って怖いですね・・・・