幕末の会津戦争で多くの若い命が散った白虎隊士終焉の地『飯盛山』に潜入調査!!

飯盛山 福島県有数の観光地、飯盛山を御案内!! 飯盛山は、明治戊辰戦争に16、17歳の少年達が、主君の為に戦い力尽き、ようやくこの地に辿り着き、そして自決した「白虎隊士」の自刃の場所と墓地で、観光地でありながら厳粛な空気を持つ特別な場所です。 飯盛山付近の駐車場に車を止め、山に向かう道中には賑やかな御土産屋さんが並んでおり、呼び込みのおばちゃんたちの勢いに驚かされます。 取りあえず、今お土産を買うと荷物になるので、帰りに買う事を約束し、参道を進みます。 ここで選択肢!“階段(無料)”を汗をかいて登るか、“飯盛山動く坂道(有料)”を使い、ありがたみ無く楽に登るか! はい、汗をかきたくない私は、金の力(大人250円)で楽に登ることにしました。 中は、快適??かな??汗水たらしながら歩く正統派参拝者を横目に乗るだけで登っていきます。




エスカレーターから、白虎隊記念館が見えます。 エスカレーターを降り、石段を少し登り進みます。 “白虎隊十九士の墓” 悲劇の白虎隊士が眠る年間200万人が訪れる墓地です。

“白虎隊十九士の墓”右からパシャリ。  左からパシャリ

19士の御墓が順番に書かれたサイトが無いみたいなので、順番に並べてみました。 白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。 幕末の会津藩が組織した部隊には他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊などがある。名前の由来は、中国の伝説の神獣である「白虎」からである。 

白虎隊の精神に深い感銘を受けたイタリアのローマ市より、昭和3年にポンペイから発掘された古代宮殿の石柱を贈与されたそうです。

 会津藩殉難烈婦の碑 会津戊辰戦役では、男性だけでなく女性も犠牲者が出ており、その方々を弔う石碑となります。  沢山の犠牲者が出た戦いでしたので、至る所に慰霊碑が置かれてます。




この地で自刃した白虎隊の唯一の生き残り、飯沼貞雄翁の御墓。

白虎隊の自刃の地です。 今から、ここに向かいます。 白虎隊の武士道に憧れ、この地に眠るドイツ人ハイゼ父子夫妻の墓

この場所で白虎隊は、会津城を見て城が燃えていると勘違いし自刃したと言われる場所です。 白虎隊士が見た、会津城方向。




正式:円通三匝堂 会津栄螺堂 飯盛山にある栄螺堂(さざえどう)を観に行きます。 さざえ堂って名前が面白いですよね。 御土産屋さんを通り栄螺堂に進みます。 んーまた、塚!説明がめんどくさいので、調べてください。

さざえ堂入り口正面をパシャリ。 さざえ堂を横からパシャリ。

さざえ堂は、1796年に当時の住職であった郁堂(いくどう)が建立したものである。 入り口には、郁堂さんが鎮座してます。 渦巻き状に登っていきます。 写真撮ってみましたが何が何だかですね。 通称、さざえ堂の通り、栄螺の様な奇妙な三重塔マニアの私は心が躍ります。

さざえ堂の前には、白虎隊19士を祭る霊廟があります。 人形達がものがなしく祭られてます。

 “戸ノ口堰洞穴“、戸ノ口原で敗れた白虎隊士20名が潜ってここまで落ちのびた洞穴です。 水はそこまで綺麗とは思わなかったですが、神秘的な風景です。 ここで一番感動したかもです。 この日も非常に私含め観光客が多かったです。

そして、飯盛山から下山始めます。 子育て地蔵尊 帰路には、軽食屋さんが沢山あります。 食べたのはきな粉餅 今回は行かなかったですが、白虎隊記念館。 日本では、少年隊士達の悲劇がクローズアップされ有名ですが、世界的には日本の武士道を知らしめたとして名誉と誇りを称賛された白虎隊士達。   彼らの名誉と誇りを称えに参拝されては如何でしょうか。 御精読ありがとうございました。

名称	飯盛山 所在地	福島県会津若松市一箕町 料金	ー 種別	墓所・寺社 備考	見どころ満載です。 評価	89点